もそもそ北京/第6日


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早朝出発、北京西駅

 翌日は本気で早起きして、寛街のバス停から「823路」バスで、北京西駅へ出た。キンと寒い朝で、「エアコンつき」バスの車内は暖房が効いているが、今度は排気ガスくさくて、息がつまる。快適さを求めてもしょうがないんだろうけどね!(苦笑) 北京西駅まで30分ほど、5元だった。

 最初、この日は北京から列車で北方300キロあまりの張家口という街に行って、現地で宿をとって一泊しようという予定でいた。しかし、天津での「負け」もあって、それはかなり冒険になりそうだ、という気がしてきたので、北京から列車で日帰りできる街に行こうということにして、昨日の午前中に北京駅の外国人用窓口に行って、北京西駅から特快で1時間半ほどの、保定(バオティン)という街までの切符を買ったのだ。

* * *

 「北京西站(ベイジン・シーチャン)」=北京西駅は、つい何年か前に一大プロジェクトで完成した新しいターミナル駅である。ここでも例の名目的なX線検査をしり目に駅舎に入って、待合室で、9時ちょうど発の邯鄲(ハンタン)行きT525次特快を待つ。早起きしてきたので、眠い。

 待合室は、小学校の体育館くらいの広さの部屋にプラスチックの椅子が並んでいて、2本の列車の客を待たせておくようになっていた。北京駅でもそうだったけど、目的の列車ごとに待合室を分けておいて、入場改札はそこでやる、という、空港みたいな方式だ。また、出発階と到着階に客の流れが分けられているのも、空港ターミナル風である。

 ──邯鄲。「邯鄲の夢」ってありますよね、豆が煮えるまでの間に一生ぶんの夢を見ちゃったよ、人生って何て儚いんだろう、、、という故事の、あれ。あの邯鄲である。政府直轄の北京市の周囲は河北省の範囲だが、この省都である石家庄(シージァチュァン)市との間には、北京西駅から1日6往復の特快が走っていて、そのうちの2往復は、石家庄よりも先、邯鄲まで行く(もっと遠くに行く列車も入れれば、さらに多い)。

 今日の目的地である保定市は、石家庄よりも手前、北京西駅からの距離にすると146キロのところにある。終点まで1日や2日かかる列車がバンバン走っている中国大陸からすると本当にわずかな距離だけど、それでもこの距離は、日本で言うと東京ー富士とか、東京ー那須とかに相当するし、保定まではずっとノンストップである。

 電光掲示の「漢中行き」や「成都行き」といった由緒ある地名を見ながら、荷物を担いだ中国人民の長い列がはけるのを待って、改札を通った。


邯鄲行きT525次列車は、4番ホームへ!

 今日の座席は軟座である。というか、硬座が売り切れで買えなかったのだ。しかし、保定まで20元(320円)と、高くはない。…そのせいか、軟座車も満席で、4人向かい合わせのボックスの向かい側には、初老の夫婦が座っていた。オヤジさんのほうは禁煙なのに煙草を吸って、テーブルの金属のお盆(中国の列車にはこういうものが置いてある。果物の皮とか食べカスを捨てるらしい)に灰を落としている。

 一瞬、…ちょっと相席の客としてはやばいかな、、、などと正直なところ思ってしまったが、このオヤジさんが猛烈に話し掛けてきた。

 まず、「どこまで行くんだ?」──保定。「そうか、俺たちも保定だ。」に始まって、…どこから来た。日本人か。保定には遊びに行くのか。留学生か。ナニ、旅行? …という調子である。

 そんな会話が始まるうちに列車は北京西駅を出発したが、車窓を眺めるどころではない。…オヤジさんたちは保定の人だそうで、子供が北京で働いているので会いに行った帰りだそうだ。

* * *

 そのうち、ぼくたちの後ろの席に座っていた、ひっつめ髪の小柄な女の子が、外国人がいるってんで、背もたれ越しに身を乗り出してきた。

「キャンユー・スピーク・イングリッシュ?」
──少し。。。
ということで、中国語と英語をまぜこぜにした、大変疲れる会話が始まったのだった。

 彼女も保定に帰るところだということで、彼女とオヤジさんたちとぼくたちで、三つ巴の会話に。…彼女は保定の大学に通っていると言う。オヤジさん「どの大学だい?」 彼女「ノンタァ。」──ノンタァ、、、? そうか、“農大”。彼女に、「アグリカルチュラル・ユニヴァーシティ?」と確認してみると、そうだ、と言う。保定には農業大学と、その他にも大学があるらしい。ただの田舎町ではなさそうだ(苦笑)。

 そのあと保定に着くまで、ほとんどずっと会話が続いた。彼女は大学3年生で、この列車で保定に着いてからすぐに午前中に1つ授業があるが、午後は授業がないからガイドしてあげるよ、と言ってくれた。日曜日に授業があるというのも驚きだが、案内してくれるというのもありがたい。

 「保定でどこに行くの?」──決めてない。「どうして保定に行くんだ?」

 この質問は困った。特に目的があるわけじゃないからね。むふふ氏が困りながら、

「(中国語で)列車に乗ってみたかったからだ」
と言うと、多少の失笑が。。。
ぼく「(英語で)北京の近くの街に行ってみたかったのだ」
女の子「(英語で)石家庄でもよかったじゃない?」
ぼく「(中国語で)石家庄は少し遠いよ」
オヤジさん「そうだな石家庄までだと●時間はかかるし云々…」
、、、という感じで、目まぐるしいこと甚だしい。

 その他、オヤジさんからは、──日本から北京まで旅費はいくらだ、とか(中国人はよくこういう金額の話題を口にするらしい)、──雷鋒(レイフォン、革命時代の偉大な同志の名前)を知ってるか(さっぱり)、等、いろいろ話されたが、対応していたのは9割以上、むふふ氏だった。ぼくはもう何が何だかわからず、、、(嘆)

 しかし、一度だけ本気で困ったことがあった。──オヤジさんが、“チングォシェンシュー”についてどう思うか、という意味のことを聞いてきたときのこと。。。

 “チングォシェンシュー”って何だろう。…女の子に頼んで、メモ用紙に漢字を書いてもらった。──「敬国神社」。靖国神社のことだ。少し字が違うけど、発音は近い。

 外国語でそんな難しい問題を思考できないし、ましてやもちろん、相手は中国人民だし。。。ぼくたちがオドオドしていると話題は変わっていったけれど、…。


保定の休日、その1。三輪バイクと不可解な切符売り

 10時23分、保定に到着。降りる人は多く、われ先にと降り口に殺到する人の波に交じって、駅の出口に押し出された。例の女の子はまず大学に行かなくちゃいけない、と言うが、列車を降りたら急に中国語しかしゃべらなくなって、…さっきの英語はどうしたんだよ(苦笑)

 駅から彼女の大学までは15分くらいだと言う。いったん大学まで連れて行ってもらって、彼女の授業が終わってからまた落ち合うことになった。…しかしちょっと時間がなさそうで、市内バスに乗ろうとしたがちょうど行ってしまい、彼女が選んだのは、駅前で溜まっていた三輪バイクのタクシー。

 軍隊の払い下げみたいなオーバーを着込んだ爺さんが運転する、三輪バイク。プスンプスン、ガガガガガ…、という感じで、大通りを走り出した。振り落とされたらたぶんタダでは済まないので、しっかり掴まる。自動車やバスなんかとは比較にならないスピードの遅さで、そんなものが通りを走って危なくないのかと思ったのだが、速い乗り物も遅い乗り物も、渾然一体となってそれなりにうまく避けあいながら、交通体系が成立しているみたいだ。みんな運転うまいんだろうな。。。

 道の曲がり方をしっかり覚えながら、10分も走らなかったか、着いたのは、河北農業大学の門の前だった。

 彼女は11時から12時まで授業があるという。(何の授業かと訊ねたら、「ファンジー」との答えだった。「繁殖」である。繁殖学。『動物のお医者さん』の世界だね)。大学の前の市場の屋台で売っていたクレープみたいな食べ物を買ってくれて、彼女は大学に入っていった。

* * *

 さて、まず駅に戻って帰りの切符を買わなければならない。埃っぽい通りを15分くらい歩いて、駅の切符売り場の列に並んだ。…今日は、もう、やるしかない。

 しばらくして順番が廻ってきた。列車は、時刻表を見ていくつかピックアップしてきている。窓口の相手は、怖そうなおばさん。

「今夜7時03分の特快、北京西駅まで、硬座2枚」
没有(メイヨウ=無い)!
「軟座はある?」
「没有!」
「硬座も軟座もないの?」
「没有!」
 ──出たよ、噂の“メイヨウ攻撃”。端末に打ち込んでもみないもんね、んもぅ。

 ピックアップしてきた3本ばかりの列車を言ってみたけれど、結果はすべて、「メイヨウ!」だった。

 もう、ぼくもむふふ氏も、焦りの色が隠せなくなってきた(ぼくは気付かなかったが、後ろに並んでいた中国人民がかなりキレていたらしい)。用意してきたメモを見ながらぼくとむふふ氏が困っていると、窓口のおばさんが、

「リゥシュエション?(留学生か?)」
「リュゥヨウレン。(旅行者だ)」
アァ?!
「リュゥヨウ!(旅行!)」
 すると、ぼくたちが持っていたメモ用紙を、「ちょっと貸せ」と窓口の中に持っていってしまった。胡散臭いものを見るような目でそれを一瞥すると、コンピュータ端末にパタパタと入力して、「40元!」と、あっけなく切符を売ってくれた。見ると、一番最初に言った、夜7時03分の特快の軟座が2枚、座席もちゃんと連番だった。

 とりあえず無事に切符が買えて、列を離れながらも、釈然としない。普段は温厚なむふふ氏も、「あるんじゃん!」、何がメイヨウだ、と、ご立腹気味である。

 どっと疲れて、駅前広場の縁石に座って、休む。中国に負けそうだ…(涙)。

──最初に言ったときのぼくの中国語が通じていなかった、という可能性もなくはないけれど、それはこの場合ちょっと考えにくい。考えられる可能性としては、…まず、この国の鉄道乗車券は、切符を見るとコンピュータ・オンラインで発券されているかに思ってしまうけれど、実際には駅ごとの座席割り当て制だろう(オンラインなのは駅内だけだろう。例外的に、北京駅・北京西駅などでは相互に発券できるようになっている)。そして、いくら売り切れとは言っても、例えば党の幹部や軍・公安などの人間のために、いくらかは座席を残しておくはずで、そのへんは窓口の駅員の裁量に任されているのではないか?
 このことについては、帰国してからネット上でいくらか調べてみたけれど、結局はっきりとはわからない。某掲示板では、「中国では切符を買えたことにただ感謝しましょう、なぜ?等と考えてはいけません」なんてことを言われてしまった(苦笑)。


保定の休日、その2。トイレバス

 …どっと疲れて駅前広場に座り込む、むふふ氏とぼく。ふと左手を見ると、「公厠」と書いてある。トイレだ。中古のバスを改造してあるものらしい。むふふ氏がそのトイレに行っている間、ぼくは広場で煙草を吸って待っていた。

 ――戻ってきたむふふ氏の顔を見ると、血の気が引いている。

 「すごかった。」
 「この世のものとは思われなかった。」

 むふふ氏はその後、15分以上も歩きながら、その「トイレバス」の話をし続けたのだが、…話を総合してみると、そのバス(苦笑)は、使用料の5角(0.5元)を払って中に入ると、座席が全部取り払われていて、その代わりに便器(と言うか、穴の開いたお皿と言うか、、、)がずらっと、所狭しと並んでいたらしい。そして、ビチャビチャの床に気を取られる間もなく、目に入ったのは、あちこちに盛られている、大量の…。

 もちろん、しゃがんでる人も何人もいた…んだよね、きっと。。。

 たしかにあまり考えたくない光景だし、それを目の当たりにしてしまったむふふ氏の心痛、いかばかりかと。…

 「もう、天変地異により試合中止って感じ。」などと(??)、身振り手振りを交えて熱く語るむふふ氏をなだめながら、農大までの道のりをたどった。

トイレバス
これが保定のトイレバス。


保定の休日、その3。H小姐と、彼女の農大

河北農業大学 そんなわけで、さっきの大学の門の前に戻ってきた。市場をぶらついたりして、12時少し過ぎに、さきほどの彼女と落ち合った。もう一人、友達を連れてきている。

 (彼女)ドゥユーハヴ・ランチ?
 (ぼくたち)ノット・イェット。

 ――すっごく不自然な英会話だけど、まぁ東洋人同士なので(?)意味は通じて、お昼ごはんを食べることに。

 まず、市場の屋台で売っていた、火の通ったロバ肉にネギとかを刻み込んで、小麦粉のパン生地で挟んだ、「ロバ肉ハンバーガー」みたいなのを買ってもらった。ぼくたち2人に、「4元よ」と言ったので、1個2元だったんだろうな。これがなかなか美味しい。ロバ肉ってくさいのかも、とか思ってたけど、そんなこともないし。

 次に、大学の目の前のレストランに入った。メニューを見せられて、「この中で、まだ食べたことないものある?」と聞かれ、…「ほとんど食べたことない」(爆)

 中華のメニューってぜんぜんわからないからなぁ。…彼女たちが適当に何品か選んでくれた。「砂鍋豆腐(シャーグォトウフ)」というのが美味しかったな。豆板醤で辛い味のついた、豆腐や菜っ葉や豚肉とかの鍋料理。――「これは四川の料理よ。四川(スーチュヮン)。わかる?」

 いつもこういうところで昼ごはん食べてるの? と聞くと、いつもは大学の食堂だけど今日は特別だ、という。やっぱり値段が高いみたい。なんだか申し訳ないような気も。

 日本の学生はお昼にどんなものを食べてるの? と聞かれ、ラーメンとか、牛丼とか、カレーとか、マクドナルドとかも行く。。。と答えると、

 ――野菜は?
 という、鋭いつっこみが(苦笑)。う〜ん、定食とかお弁当とか、中国語で説明できないよ。…日本の学生の食生活について、誤解を与えてしまったかも知れない(むむむ)。

 食べ終わって、――ぼくたちが払うよ。と言うと、そんな必要はない、と押し留められる。何だか、払ってくれちゃいそうな雰囲気があったので、こっちも、いやしかし、と粘ると、――割り勘で。とあっさりと済んだ。こちらの思い過ごしだったみたい。(^^ むふふ氏とぼくで、11元払った。

* * *

 その後、大学の中を案内してもらった。河北農業大学は1902年創立、今年で100周年の伝統ある大学だそうだ。彼女たちは「動科」(動物科学なんとか院)の学生で、そこの校舎に入ってみたりもした。薄暗い廊下に、ホルマリン漬けの標本が置いてあったりして…。校舎の中の雰囲気は、…日吉の慶応義塾高校の廊下の雰囲気に似ていた(苦笑)。古くて埃っぽい、コンクリートの建物。

 ちょっと新しめの校舎の、講義室をのぞいてみたりもした。日本の大学と同じような、傾斜のついた広い部屋で、作りつけの机と椅子が並んでいる。講義のない時間で、中には男女のカップルが1組、座っている。彼女が「しーっ…」と言っているのに、むふふ氏は気付かず、「日本の大学と同じようです」と感想を述べる。(苦笑)

 キャンパス内を歩いていると、彼女の友達や先生に会って、「やぁどうしたんだい?」「日本の友達を案内してるの」みたいな会話を交わしたりもしていた。――そっかぁ、『日本朋友(リーベンポンヨウ)』だったんだ、ぼくら。。。

小さく載せておきます、やっぱり。 住所を交換して、写真を撮った。列車の中で会った彼女は、Hさん。そのお友達は、Tさん。――Tさんが宿舎からカメラを持ってきて、Hさんが、近くで遊んでいた子供を「ねえ、ちょっとこっち来なさいよ! …え? べつに怒んないわよ、いいから来なさいってば!」みたいな感じで呼び寄せて(笑)、シャッターを押させた。ぼくたちのカメラのシャッターも、押してもらった。

 大学の中をひとまわり、案内してもらってから、H小姐は午後2時半から用事があると言うことだったので、2時過ぎに別れた。門の前で、――どうもありがとう。――何かあったら連絡してね。と握手し合って、歩き出すと、――ちょっとちょっと、、、と追いかけてきて、「駅に戻るには5番のバスだからね。」って念を押してくれた。


保定の休日、その4。蓮花書院を知っていますか

 また駅前まで戻って、保定大酒店という西洋式ホテルのロビーに入り込んで、休んだ。朝からずっと中国語を使っていたわけで(使っていたのは主にむふふ氏だったけど)、それなりに疲れたけれど、でも、本当によかったと思う。もっと言葉がわかれば、もっといろいろ話せたのにな。。。

 しばらく休んだ後、駅前広場から伸びる大通りを東へ向かう。保定は民国時代に直隷省の総督府が置かれていた街で、袁世凱も直隷総督としてここにいたことがある。その「総督署」の跡が博物館になっているというので、向かってみた。脇道に逸れながら、保定の一番の繁華街らしいところに出た。いちおう、民族系のデパート(?)や、ケンタッキーとマクドナルドの看板も見える。…マクドナルドの看板に釣られて、フラフラと入ってしまうあたり、中国旅行者としては失格かもしれないけれど。でもここのマックは、中国のお店にしては(?)店員がキビキビとして笑顔も輝いていて、むふふ氏もぼくも、「ここの店員は『働いてる』よね。」という評価を下したのだった。

 そうそう、ここのマクドナルドでは、カウンターで不思議な体験をした。列に並んで、ぼくの順番が回ってきたとき、店員が「オソオセヨ〜」と声を掛けたような気がするのだ。ぼくの風采を見て、韓国人観光客と思ったのだろうか。

 マクドナルドを出てみると、そこは「総督署購物中心」というショッピングセンターだった(苦笑)。城壁のようなものが残っているかに見えるけど、これは後からの作り物だろう。その一隅に、古蓮池という、昔の城内の庭園の入口があった。1人10元も払わされたが、入ってみる。

 ここは清代に「蓮花書院」という学府が置かれていたところで、日清戦争前に、日本から宮島大八という、明治期の日本における中国語教育の先駆者になった人物が、留学していたそうだ。ここ古蓮池の一角に、その師弟関係を記念する碑が建っており、日本語の説明文もあった(と言っても詳しい内容は忘れてしまったので、帰国してからネットで検索して調べたんだけど/苦笑)。ここは日本とも関係の深いところだったのだ。

 庭園の外に出てみると、「総督署博物館」は、さっきは気付かなかったけれど、マクドナルドを挟んで反対側にあった。門が閉まっていて入れないようだったので、また大通りを駅に戻る。…保定は、河北大学・河北農業大学の2つの大学と、解放軍の部隊がいるからだろう、学生らしい若者と兵隊が目に付く街だった。またもや保定大酒店のロビーで、一休みする。このホテル、客らしい姿はほとんど見えないけど、通りすがりの旅行者が入り込んでも何も言われないし、まともなトイレも使えるし、言うことはない(笑)。変な2人組のオヤジが、サトウキビを囓りながらペッペッと床に吐き捨てたりしている。

驢馬
大通りから少し逸れて、旧城壁の近くの道で出会った、ロバ。

古蓮池の落日
古蓮池の落日。

保定駅
薄暮の保定駅。


「人民鉄路為人民」

 帰りの列車の時間が近づいて、駅前に戻った。例の「トイレバス」にぼくも入ってみたが、その時はちょうど、…おそらくいろんなモノを洗い流した後だったのだろう、特に地獄を見るような不潔さではなく、ちょっと拍子抜けしてしまった。――本当の中国を、ぼくはまだ、知らない(苦笑)。

 駅に入り、地下道を通って、暗い待合室に入る。改札に並ぶ人の列の中に、むふふ氏が目ざとく日本人を見つけた。なるほど、フェイクファーのついたジャケットなんか着ていて、あからさまに周囲から浮いた服装の若者たちがいる。留学生なのか、観光旅行なのか…。保定に来る外国人なんてぼくたちだけだろう、なんて勝手に思い込んでいたのに、なんだか面白くない(苦笑)。

 北京方面への上り線は、駅舎のある1番線側ではなく、その対面の島式ホームなので、地下道をくぐらなければならないのだ。…ホームに上がると、駅舎側のホームに、「人民鉄路為人民」という鉄道管理局の紅い横断幕が掲げられている。

 周囲の中国人民たち、居丈高な制服制帽の鉄道員、人が蝟集する暗いホームで、石家庄から来る特快列車を待っている間、…そうだ、“人民のための人民の鉄道”。ぼくらはここでは外国人で、ぼくたちのために列車が走ってくれるわけではないのだ。極端な話、もうすぐ来るはずの列車に、そのへんの中国人民は乗れて、ぼくたちは乗せてもらえないとしても、不思議はないのだ、と思った。

 ――どうしていきなりこんなことを思ったのか、よく憶えていない。他に外国人がいない土地で、あの、周囲にそぐわない服装をした日本人たち(襟にフェイクファーがついてて、髪の毛が少し茶色かったっていうだけなんだけどね…)を見たことで、鏡を見たように、自分の立場を思い知らされた、、、のかもしれない。…レンミンティェルー、ウェイレンミン、、、と口の中でつぶやきながら、夜の保定駅のホームに佇む。

* * *

 北京西駅行きのT514次特快は、19時01分着・03分発の予定が、少し遅れていた。ぼくたちの乗車券は、軟座の9号車の指定だが、ホームのどこで待っていれば9号車に都合がよいのか、わからない。5分ほど遅れて入ってきた列車は、オール2階建ての車両が20両近くつながった、威風堂々とした列車だった。見ると、9号車が通り過ぎていく(!)。ホームを全力でダッシュ。。。

苦労して手に入れた、保定19時03分の特快・北京西駅行き、軟座。 結局、保定を発車したのは19時07分頃だった。乗り込んだはいいものの、ここが何号車なのかわからない。客室の入口の号車番号表示も狂っていたりして、何がなんだかわからない。何両か歩いて移ってみたが、硬座車ばかりで、軟座車は見当たらない。同じように座席がわからないらしく、デッキに腰を下ろしている人もいる。近くの人に、「ここは何号車ですか?」と聞いてみても、その中国語が通じなかったり、「知らない」と言われたり。

 前の車両へ進んでいくと、通路に鍵が掛かっているところがあった。おそらく、ここから先が軟座車なのだ。切符を持っているのに、行けない…。デッキでしゃがんでいようか…と思ったとき、女車掌がやってきて、鍵を開けて前の車両に入ろうとしている。ぼくたちと同じ状態の人が駆け寄って、軟座の客だからここを通せ、と言っていたので、ぼくたちも切符を見せて、無事に軟座車に入れてもらった。やっと座席を見つけて、座る。9号車の1階席だった。

 隣には、落花生のような実の殻をひたすら剥いて食べている老夫婦。通路を挟んで向かい側には、SAMSUNGのノートパソコンを開いているビジネスマン風の男性。…今日はもう疲れたぞ、と、イヤホンを耳に突っ込んで、顔を伏せた。北京西駅まで1時間20分余り、窓外は漆黒の闇である。

T514次特快、北京西駅に到着
北京西駅には20時27分の予定のところ、4分くらい早く到着。

京石城際特快のプレート
列車側面のプレート。

夜の北京西駅
ライトアップされた、北京西駅の正面ゲート。下からのけぞるように見上げて撮った。


823路バスの迷走

 北京西駅に着いて、まず到着階のコンコースの公衆電話で自宅に電話を掛けてから、ホテルに戻る「823路」バスの乗り場を探した。

 しかし、バスターミナルのどこに823路の乗り場があるのかわからない。売店の人とかに聞いても、「あっちだ」とか言われて、その方向を探しても見つからない、…といったことを繰り返しているうちに、だんだんイライラしてきた。夜のバス乗り場に雑踏する群衆は、田舎から上京してきたばっかりで、北京のバスのことなんか知りはしない。

 そこらへんのオバハンに「823路はどこで乗るの?」と聞くと、
 ――東直門に行くやつか」
 「そうそう!」
 ――この人に聞きなさい」
 なんか違う人が出てきたぞ。「823路はどこで乗るの?」
 ――この地図を買いなさい」

…怒

 本気でアタマに来た。もう、絶対にバスでホテルに帰ってやる。タクシーなんか使うもんか。…むふふ氏と二手に分かれて、――じゃぁ10分後にこの街灯のところで。」なんて言って探し始めたとき、すぐそこに823路バスが止まっているのが見えた。拍子抜けである。

 というわけで、夜9時頃に乗り場を見つけて、しばらく待ってから現れたバスに乗り込んだのだが、…もう、北京西駅の前は、タクシーやらバスやらが三重、四重に停車していて、それぞれが思い思いの方向に動こうとしているので、ものすごい交通秩序になっている。ぼくたちが乗り込んだバスも、歩道から遠く離れたところでドアを開けて客を降ろしているところに駆け寄るような感じだった。…北京西駅って、国家プロジェクトで建設された最先端のターミナル駅のはずなのに、バス乗り場もタクシー乗り場も、もうとっくにあふれているのだ。

 まあとにかく、無事に目的のバスに乗り込めたので、ほっと一安心していたら、女車掌はちっとも切符を売りに来ない。何事かと思ったら、バスは発車してひとまわりしてからまた北京西駅の前に戻って、元の乗り場に停車した。

 女車掌がドアを開けて、「823路、東直門、東直門行きです!」と叫ぶ。おお、東直門か、823路か、と気付いた客がパラパラと乗り込む。…かれこれ30分近くもそんなことを続けて、相当の数の客を乗せてから、やっと発車した。――はじめの方ではぼくたちが乗り場を探してうろうろしていたけれど、今度はバスがうろうろしていたわけで、こんなのはまったく、聞いたことがない。

 結局、ホテルに戻ったのは夜10時頃だった。



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