H小姐からの手紙 |
帰国してから、数日。…むふふ氏とぼくは町田のジョナサンに2回も集まって、辞書を引き引き、手紙を書いた。 ──過日は大学を案内してくださってありがとうございました。中国朋友が親切にしてくれたこと、とても嬉しかったです。…お別れした後は、古蓮花池などを散歩して、19時03分の特快で北京に戻りました。翌日は万里の長城に行くつもりでしたが、疲れていたので、じゃわじゃわは廬溝橋へ、むふふは市場で買い物をしていました。…いま日本ではとても暖かく、桜が咲いています。来月から、むふふは大学院へ進学し、じゃわじゃわは就職します。日本に来ることがあったらぜひ連絡をくださいね。…お身体をお大切に。。。 大学のキャンパスや、ぼくたちが住む町田の様子を写真に撮って、何枚か同封して、送った。 * * * 4月に入って、ぼくが就職先の宿泊研修から帰ってくると、保定からのエアメールが届いていた。差出人はH小姐だった。 ――こんにちは。お手紙ありがとう。写真もどうもありがとう、あなたたちの学校もとてもきれいですね。 私たち中日両国の青年は。。。再び集まった町田のジョナサンで、むふふ氏とぼくは、「う〜ん」と唸るしかなかった。 * * * ぼくが廬溝橋まで見に行って、見なかったものは一体、何であったのか。なぜぼくは見ずに帰ったのか。… ぼくたちは、自分たちの大学について、「いまの日本の首相の小泉が卒業した大学だ」と説明した。今、あの国で、その小泉首相と日本という国はどう思われているのだろう? ――いろんなことを思うけれど、一つだけ言えるのは、中国は本当に遠い国だった、ということです。あっけなく飛ぶことができるけれど、遠い国。 2008年には北京でオリンピックが開かれます。そのとき、ぼくは28になっているはずです。ぼくがそのときどんなふうに暮らしているか、、、と考えても仕方ないのですが、ぼくは、2008年には北京に、中国に、もう一度行かなければならない、と思います。北京の街が、どんなふうに変わったか、また、どんなふうに変わっていないか、見たい。また、街角で買った『北京晩報』を小脇に挟んで、バス停に走ってみたい。そのときまで、ぼくが、学生時代に勉強した中国語を忘れず、さらに「漢語越来越棒」だったとしたら。そのときまで、あの埃っぽい街々と、押し合う人々の波が、ぼくたちの手の届くところにあるとしたら。 中国は遠い国でした。 |