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じゃわじゃわ旅行記
厳冬!オホーツク街道300km路線バスの旅

地図


試される大地。冬の北海道へ。
横浜(YCAT)→羽田空港(第2ターミナル) 京急リムジンバス
東京(羽田)14:40→札幌(新千歳)16:10 エア・ドゥ(ADO)19便
新千歳空港→札幌 JR千歳線 快速「エアポート」 1,040円

 最近、遠出していないわけで。7月のしまなみ海道サイクリングから、旅行らしい旅行をしていない。このところ、脳みそや神経が疲れているような気もする。この際、いろんなことは気にせず、行きたいところに行こう、見たいものを見よう、…と思ったのだった。まあ、法定休日を使うのであるから、会社を休んで出かけるわけではないのだけれど。。。

 ──冬、2月の三連休。やはり北がいい。オホーツクの流氷を見たい。とすれば、まず網走か紋別あたりが思い浮かぶが、稚内まで海沿いを路線バスでたどってみよう、と思った。朝に網走か遠軽を出れば、路線がつながっていてその日のうちに稚内まで着けることはなんとなく知っていた。

 一日目の行程はだいぶ迷った。折悪しくも札幌は雪まつりであるから、混雑が予想される。女満別空港に飛んで網走に泊まる、オホーツク紋別空港に飛んで直接紋別に入ってしまう、など考えたが、運のいいことにAIR DOの千歳便があいていたので、いいついでだから雪まつりをちょっと見物してから網走行きの夜行列車か夜行バスに乗ることにした。こうすれば、宿泊費が浮くし、二日目の朝、網走で寝坊してバスに乗り遅れてすべてがおじゃんになる危険もない(^^;。とにかく、三日目は稚内空港から一日に一便しかない羽田行きを取ったので、二日目のうちに稚内までたどり着かずに紋別や枝幸あたりで油を売ってしまうとたいへんなことになる。天気が荒れてバスが止まるという可能性もなくはないのかも知れず、それはもう仕方がないのだけれど。

* * *

 というわけで、2005年2月11日(金曜日)、昼頃からゆっくりと羽田空港へ出かけた。横浜駅でコーヒーを飲んだ後、YCATから京急のリムジンバスで空港へ。YCATの機械で搭乗便のチェックインも済ませておく。

 羽田では、真新しい第2ターミナルから。14時40分発の千歳便で、苫小牧あたりの海岸線と真っ白な平地が、飛行機の窓からよく見えた。ほぼ定刻に新千歳空港に到着。真っ白な雪原にある飛行場で、何と言うか、大陸的な光景であった。

 今日はこれから網走行きの夜行に乗るわけだが、バスも列車も手配していない。とりあえず札幌までの切符を買って、JRの快速「エアポート」に乗った。札幌までの36分の間に、窓外は夕闇に包まれていった。──札幌駅のホームで列車を降りると、たしかに空気が冷たい。改めて気分が引き締まる。

* * *

 札幌から網走へ向かう長距離バスは、北海道中央バスが運行している。駅にあるJR北海道の旅行センターに入ってみたところ、ここでは手配できないと言われた。──旅行センターなのになんでやねん、と思ったが、親切に道内時刻表をコピーしてくれたので、ありがたくいただき、中央バスに電話をかけて問い合わせてみると、なんと、今晩の網走行きに空席があると言う。連休の真っ最中に、これはかなり幸運だと思った。寒いホームに並んで、狭苦しい座席に座れるか座れないかわからないようなJRの特急の自由席よりも、数段安いのだから。。。札幌での乗り場は、駅前のバスターミナルではなく、“中央バスターミナル”だと教えられた。

 それはともかく、ゆったりリクライニングで眠りながら網走に行けることが確約されたので、意気揚々。地下鉄で真駒内まで行ってぼんぼん打ちあがる花火を見たり、大通公園に戻って、ああはいはい、ヨン様ヨン様(^^;。しかし、氷の像を作ってから少し気温が高い日があったらしくて、表面が溶けかかっており、誰だかよくわからない。

のっぺらヨンさん 

 ミスタードーナッツで本を読んだり、セブンイレブンの「ジンギスカン丼」(北海道限定メニューらしいですね。わりといけます。ていうかむしろ道外で発売してほしいのだが)を食べたりしているうちに、雪まつりのネオンも消えていき、テレビ塔の脇から創成川を渡る長い長い歩道橋を渡って、中央バスターミナルへ向かう。

中央に創成川とアンダーパスが通っているとはいえ、この街路の規模たるや。大陸的な街ですね、札幌って。 中央バスターミナル



吹雪の夜行高速バス
中央バス札幌ターミナル23:40→網走駅前5:45頃 北海道中央バス『ドリーミントオホーツク』号 6,210円

網走行き『ドリーミントオホーツク』号 北見・美幌・女満別・網走行きの『ドリーミントオホーツク』号は、23時40分発。釧路行きや函館行きの夜行はすでに発車していき、薄暗いバスターミナルの、ほとんど最終ランナーといったところだ。発車の15分ほど前に窓口が開いたので、料金を払って切符を受け取る。網走まで6,210円。安い。

 アナウンスに促されて乗り場へ向かうと、今夜の『ドリーミントオホーツク』号は2号車まで出ており、ぼくは2号車の中央最前列だった。最後の最後に売る席のような気がする。やはり、夕方5時過ぎに当日の夜行の座席が取れたというのは、本当に幸運だったのだろう。実際、満席になって、ほぼ時刻どおりに発車した。

 ところで、札幌市内の天気は、風はほとんどなくて、気温は氷点下7〜8℃。雪は降っていないし、夜が更けてきて寒さが強まってはきたけれど、全然穏やかなほうだと思っていた。だが、中年の乗務員氏がマイクで言うところでは、道央自動車道が江別から先、吹雪で通行止めになっていると言う。一般道を使うので明朝の到着が遅れる可能性がある、とのことだった。吹雪…?? さらに、そうこうしているうちに、車内のテレビに、札幌から通行止め、とのテロップが出た。乗務員氏の無線にも情報が入り、「札幌からダメだってさ。」「えぇっ」などと話している。まずまずの天気だと思っていたのに、吹雪とは! ──しかし、札幌市内の凍結した道路をものともせずに、バスは走り出していた。最前列だから消灯までは前方がよく見えるのだが、路面はアイスバーン状態で、道路のセンターラインが全然見えない。

 ──たしかに、ぼくは今、安さにつられて夜行バスに乗っているけれど、北海道では“冬こそJR”と聞く。北海道の高速道路、吹雪の中の玉突き事故などのニュースを聞くこともあるし、う〜む。。。ま、一般道でゆっくり行ってくれればむしろいいけどな。時刻表どおりなら網走に着くのは翌朝6時の予定だが、2時間くらいなら遅れてもかまわないし…などと考えつつ、消灯されてカーテンが閉められたので、眠りについた。1時間以上一般道を走ってから、高速道路に上がった感触があったが、どこだかはわからない。

 途中、早朝4時頃の北見で、真っ暗な中、ミニスカ&ブーツの女の子が降りていったのは覚えている(迎えの車が来ていた模様)。土曜日に札幌に遊びに行った帰りなのかしら。この季節にこの格好で、道民ギャル、たいした根性である。



厳寒の夜明け前から
網走6:41→北浜6:57 JR釧網本線 260円

 ──などと、停車駅の雰囲気なんて覚えているあたり、眠れていないのかと思いきや、そうでもなくて、この夜行バス、ぼくはそれなりによく寝ていた。網走駅前でバスを降りたのは、朝5時45分頃だったか。結局、途中で停車した北見・美幌とも、定刻で乗客を降ろし、網走にいたっては定刻より早く着いてしまった(このバスの終点は網走バスターミナルであり、「駅前」は終点の手前らしい)。内地の夜行バスで定刻より早く着くことはよくあることなのだが、ここでは条件がまったく違いすぎるだろう。どういうルートを走ってきたのかは知らないが、一般道の山越えをしてきているはずである。いやはや、たいしたものだ。

網走駅 “駅前”と言いつつ、何の素っ気もない道端で下ろされてしまったが、網走駅は街からは少し離れているようだ。目の前の道路を渡ったところに網走駅があるはず。──しかし、バスを一歩出たとたん、夜明け前の冷気が容赦なく襲ってきた。膝が痛い。風はないものの、道路上の気象案内板に氷点下15℃と出ている。道路の向かいにローソンがあったので、ほうほうの体で駆け込む。だめだこりゃ。

* * *

 駅の待合室にはすでにぱらぱらと人の姿があった。立ち食いそば屋さんが店を開きそうなので、食べようかどうかと思案していると、札幌からの夜行「オホーツク9号」が定刻、6時15分に到着し、どっと乗客を吐き出してきた。なんと、この厳寒期に、ほとんど満員なんじゃないか。流氷観光に来たらしい中年の乗客が目に付く。札幌でこの列車の自由席を狙っていたら、まず座れずにデッキに立ったりしゃがんだりになっただろう。やはりバスの座席が取れて本当によかった。

 さて、網走に着いた以上、今回のテーマである「稚内まで路線バス」の旅に取り掛かるのだが、その前に少し余裕があるので、まずは稚内とは反対方向、釧網(せんもう)本線の鈍行列車に乗って、4つ目の北浜という駅へ向かうことにした。この駅、オホーツク海の海岸線からすぐのところに線路が通っていて駅があり、流氷を見られる駅として有名。──立ち食いそば屋のおばさんは、改札内と改札外の二方向から殺到する注文を捌くのにてんてこまいであった。中国語圏の元気な観光客に混じって、ぼくも月見うどんを食べてから、釧網本線のディーゼルカー(釧路行き)に乗り込んだ。斜里や摩周(弟子屈)に向かうこの列車、観光客で座席は全部ふさがっている。のんびりとうどんなど食べているうちからわかってはいたけれど、仕方ないのでデッキに立った。ローカル線に乗りたがる奇特な旅行者が増えたよね、最近。

* * *

車窓より 列車は網走の市街地を抜けると、海岸沿いに出た。国道と並行して走る。岸壁近くの海は氷の塊が埋めているが、離れたところはまだ凍っていない。しかし、視線を沖合に転じると、茫々たる水平線ならぬ、一文字に白い線が一筋、空との境目に輝いていた。

 北浜駅に着く。何人かの旅行者が列車を降りた。



朝日と流氷の海
北浜7:56→網走8:17 JR釧網本線 260円

北浜駅

海岸をゆく鉄路

打ち寄せる流氷塊

斜里からの列車

ざざーん。

この空と海を見られただけでも、今日北海道まで来た意味がありました。

 北浜は国道の脇にある無人駅で、待合室の小屋があるのみだが、小屋の隣に丸太を組んだ“展望台”があって、海を見渡せた。海岸線までは100メートルもないんじゃないかな。──しかし、とにかく風が強くて容赦なく寒い。マフラーで顔の下半分くらいまでぐるぐる巻きにする。

 荒波に乗って、氷の塊が海岸に打ち寄せられてきている。ノルマンディー上陸作戦のように、陸地めがけてやってくる流氷塊が、海上に点々と見える。波打ち際はおそらく砂丘のような感じなのだろうが、深く積もった雪に足を取られながら、出られるところまで踏み出して、海を眺めていた。

* * *

 7時16分、朝日を浴びながら、網走方面行きのディーゼルカーが単行でやってきた。女子高生とかがぱらぱらと乗っているのが見える。これは知床斜里を出て北見に向かう列車で、これに乗って網走に帰ってしまってもいいのだが、一本見送ることにした。次の列車で帰っても、網走から先の路線バスの行程には影響しない。──先ほど、ぼくと同じ列車で来た旅行者はほとんどこの列車に乗って網走方面に戻って行ったが、せっかくここまで来たのでもう少し海を眺めていることにした。

 駅の待合室の小屋は、喫茶店が同居していると聞いていたが、こんな朝早くではもちろん営業していない。饐えたにおいのする狭い待合室は、全国各地からの旅行者が残していった、名刺や定期券、学割証、飛行機の半券、メッセージを書いたメモなどが壁を埋め尽くしていた。話には聞いていたし、何もここだけに限った現象ではないのだけれど、目を引いたのは、香港や台湾の旅行者の名刺がわりと多かったこと。やっぱり増えてますよね、中華文明圏からの旅行者って。いいことじゃないですか。

* * *

 それにしても、ここまで来て海を見ることができてよかった。──実は、この旅行の計画を立てていた頃は、流氷は網走あたりよりも紋別や枝幸に行ったほうがよく見られるのではないかと思っていて、網走には立ち寄らない経路をとろうかとも考えていたのだが(遠軽あたりから直接、紋別方面に行ってしまうとか)、数日前から、網走方面のほうが有望そうだと思って(気象庁のサイトで海氷情報をチェックしていた)、それだったらうわさに聞く北浜駅に行ってみよう、と決めたのは、実は昨夕に千歳空港に降りてからのことだったのだ。──海岸線を埋め尽くしせめぎ合うような流氷は見られなかったけれど、それは、風まかせの自然相手であるから、しかたがない。十分満足だった。



青空と雪原のサロマ湖
網走駅前8:45頃(定刻8:40)→中湧別(文化センター)10:55 網走バス 2,350円

 さて、いよいよ路線バスの旅に入る。ここから稚内まで300キロ余り、全部で6本のバスが、もし1本でも走らなければ、明日、稚内から帰京するのは困難になる。大丈夫なのか。──再び降り立った網走駅前は、朝の陽射しが明るく、気持ちが良い。

 駅前ロータリーには、観光バスが1台止まっていて、若い人たちが乗り込んでいくのが見えた。これは紋別行きの観光路線バス(?)で、流氷観光の期間に、網走から紋別への直通便として運行しているらしい。紋別からはさらに枝幸〜稚内へ向かう観光バスも走っており、ぼくが今回たどろうとしているルートとまったく同じだし、乗り換えも少なく、おそらく運賃もこっちのほうが多少安くなる? ──この観光バスの存在は知ってはいたのだけれど、ちょっとしっくりこなかった、と言うか、地元の路線バスの停留所に立ってバスを待って、自分で運賃箱にお金を入れながら一歩ずつ進んでいくべきなのではないか、という気がした。何故そう思ったのかは自分でもうまく説明できないけれど。

* * *

 最初に乗るのは、中湧別(なかゆうべつ)行きのバスで、これは網走バスの運行。実はこの区間には、国鉄時代には湧網線(ゆうもうせん)というローカル線が通っていて、これを廃止・転換したバス路線である。網走バスのウェブサイトでダウンロードできるPDFの時刻表にも、「湧網線(網走から常呂・佐呂間・中湧別方面行)」と書いてあった。──というか、実は、今回進もうとしている経路は、雄武と枝幸の間を除くとすべて、国鉄時代は鉄道でたどることができたのである。時刻表から消えた町たちをたどっていくルートなのだ。

 網走バスターミナルからやって来るバスを、駅前の2番乗り場で待ち受ける。少し外れた道路沿いにある停留所で、数人の地元客と一緒に並んだ。8時40分発のはずが、少し遅れてやって来た。最初から遅れか、と少しがっくり来る。本当に路線バスで稚内まで、時刻表で立てた計画どおりに行けるのか…??

 さて、10人前後の乗客を乗せたバスは、刑務所の塀を横に見ながら網走の市街を抜けて、いよいよ稚内への「オホーツク国道」に入る。テープのアナウンスが次々とバス停の名前を告げるが、ほとんど乗り降りはない。道路の状態はわりとよいようで、交通量も少なく、単調な道を運転士は、時速60キロを守りながらすいすいとハンドルを切っていった。──車窓左手、青空の下で真っ白に結氷した網走湖のほとりを、バスはめぐっていく。新緑の季節に来たらどんなに爽やかだろう! サイクリングロードもあるみたい。

 常呂のバスセンターでトイレ休憩(時間調整)をはさんで、こんどは右側にサロマ湖が現れる。これも全面結氷しており、時折スノーモービルが爆走していたり、湖の上にテントを立てて何かしている人たちがいたり(釣り?)した。森に囲まれた網走湖に対し、海とつながっているサロマ湖は、ただただ茫漠とした白い平原であった。

常呂町交通ターミナルにて一服。 サロマ湖です

 サロマ湖はとにかく東西に長い。バス路線は、ただ国道をまっすぐ進むだけではなく、時折、脇道に入って、湖畔のいくつかの漁村をこまめにトレースしていった。そんな途中、「福沢宅前」とか、住人の名前のついたバス停が現れる。

佐呂間町の市街地 サロマ湖を離れて次第に内陸に入り、中湧別の市街地に入った。10時55分、終点に到着。網走から2時間も同じバスに乗っていたのだが、乗客は最終的にはぼくを含めて2人だけになった。途中、常呂と佐呂間で時間調整があったし、席を移したりもしていたからまだよかったけれど、さすがに「やれやれ」という感じでバスを降りる。



鉛色の港へ
中湧別(文化センター)11:01→オホーツクタワー入口11:46 北紋バス 860円
ガリンコステーション12:30→紋別ターミナル12:45 北紋バス(シャトルバス「ガリヤ号」) 200円
紋別ターミナル13:05頃(定刻13:00)→雄武14:13 北紋バス 1,210円

中湧別文化センター



停泊中のガリンコ号II

う〜ん、ぼくも乗りたかった。デッキまで観光客を鈴なりにして出航していく「ガリンコ号II」

防波堤の尖端に…

オホーツクタワー

海面の氷板



紋別ターミナル

北紋バス

 中湧別は、以前ならば遠軽から紋別、興部を経て名寄へ向かう名寄本線と、網走からの湧網線が合する駅だったはずのところ。真新しい巨大な公共施設の片隅がバスの停留所になっていた。敷地内には鉄道記念館も見えたが(国鉄中湧別駅の跡地だということだ)、ほどなく次に乗るバスの時間になってしまうので、行かない。

 先ほどのバスでずっと網走から乗ってきていたのは、アジア系の若い女性だった。最初、きっと南方中国人に違いない、と思って、彼女が雪景色を写真に撮っていたので「シャッター押しましょうか?中国人ma?」などと少し話したのだが、日本語は比較的達者で、しかもタイ人のかただった。JR北海道のパスを持っていて、今日は紋別まで行って観光してから、北見に戻って札幌行きの夜行列車に乗るとのこと。──ほどなく、遠軽発紋別(もんべつ)行きの北紋バスがやって来たので、乗り込む。このあたりは比較的人口の多いところなのだろう、車内には乗客が十数人乗っていた。まあもちろん、座れないほどではなかったが。

 中湧別の市街を出ると、おそらく牧草地なのだろう、雪原の中を行くようになった。空はだんだん翳ってきて、暗い色のオホーツク海がのぞめる。左手にオホーツク紋別空港が見え、紋別の市街地に近づく前に、「オホーツクタワー入口」でバスを降りてみた。小雪が頬を打つ。先ほどのタイ人の女性もここで降りた。

* * *

 紋別市は、網走から北の海沿いでは最大の都市で、流氷観光船の“ガリンコ号”で有名なのだが、観光客ですごいらしいのでこれに乗るつもりはなかった。しかし、ガリンコ号乗り場の近くにオホーツクタワーというのがあって、港の防波堤の突端に、海に突き出した塔が立っていて流氷の下の海中を見られるらしい。──バスのスケジュールの関係で、観光に費やせる時間はほとんどないので、少し迷ったのだが、ただバスを乗り継いでいくだけというのも味気ないので、降りてみることにしたのだった。

 タイ人の女性と話しながら、雪原を回りこむ道をしばらく歩いていくと、もんべつ流氷まつりの会場があって、なにやら偉い人がマイクでしゃべっている。それなりに観光客も集まっているようだ。タイ人の女性は流氷まつりを見に行き、ぼくは別れてガリンコ号乗り場のほうへ向かった。

 すると、これまでたどってきた道々の寂れかたがウソのように、「ガリンコステーション」の建物は観光客でごった返していた。岸壁に停泊している赤いガリンコ号は、たいして大きい船ではないのだが、乗客が列を成して次々と乗り込んでいく。港内の水面には、板状の氷が浮いており、見るからに寒々しい。

 「オホーツクタワー」は、本当に防波堤の先端にあるので、見はるかすとうんざりするほどの距離だった。防波堤が回廊のようになっていて、てくてくと歩いていったが、塔についたところでそろそろ帰らなければならない時刻だった。残念。──このあわただしさはひとえに、後の行程のバスの接続の悪さのせいであって、いかんともしがたい。それに、そもそも、今いるこのオホーツクタワーから、次に乗るバスが出る紋別ターミナルまで、どのくらい距離があるのかも把握していなかった。タクシーを使おうとは思っていたものの、そのへん、あとさきを深く考えずにバスを降りてしまっていたのだ。

 すると、ガリンコ号乗り場の前に、先ほどの路線バスと同じ、北紋バスが一台停まっていて、観光客たちが乗り込んでいる。ここと紋別ターミナルとの間を往復しているシャトル便の「ガリヤ号」だそうだ。これは好都合だ。バスは満席になって、12時30分に発車した。タクシー代が浮いて、よかった(^^

 豪雪に埋もれた紋別の市街に入って、これも真新しいバスターミナルに着いた。ここも、国鉄名寄本線の紋別駅の跡地らしい。──建物は立派で、JASの代理店と北紋バスの詰め所、紋別市の機関などが入居しているが、“駅前”は殺風景である。市街地の道路からは少し入ったところにあるので、バスの時間までちょっと買い物でもしに…といったようなことがやりにくい。

* * *

 15分の待ち時間で(実際にはバスはさらに5分程度遅れて来たが)、雄武(おうむ)行きのバスに乗り込んだ。紋別の市内でおばさんやおばあさんがわずかに乗り降りしてから、市街を出外れると、車内にはぼくを含めて4人ほどの乗客が動かなくなった。どの人も自分と同じような旅行者に見える…。ときおり吹雪が吹き付ける中を、バスは坦々と進んで行く。

 途中の興部(おこっぺ)は、国鉄時代には名寄本線と興浜南線が分岐していたところ。待合所から5〜6人の乗客が乗ってきた。乗ってきたおばさんが、携帯電話で「いま興部の駅なんだけど、、、」等と話していた。“駅”という言葉、町から鉄道線路がなくなっても、生きているのだろうか。

 オホーツク海に突き出した日の出岬では、バスは国道238号を大きく外れて、岬の上にある“ホテル日の出岬”にまで上がった。なんと、一人の乗客がここで降りていった。岬の丘の上にあるホテルで、オホーツク海の朝日が美しいところらしいが、この季節に観光客が訪れるとも思えず、そもそも営業しているのかな?



静止した海とともに
雄武14:30→枝幸ターミナル15:40 宗谷バス 1,930円
枝幸ターミナル16:25→浜頓別ターミナル17:10 宗谷バス 700円

雄武バス停 紋別から乗ってきたバスの乗客は、最終的にはぼくを含めて3人になった。終点の雄武に到着。雄武のバス停は、“道の駅おうむ”に同居していた。雪が激しく降っている。

 ところで、路線バスたちの運賃を払う際、千円札を小銭に両替する必要があるが、これまで乗ったバスは、両替機が新札に対応していない、という貼紙がよくあった。先ほどのタイ人の女性もそれで困っていたりしたのである。ぼくはこれまでのところ、あらかじめ持ってきていた小銭の束でしのいでいたが、そろそろ心細くなり、あとは新千円札と一万円札しかない。──バス停の近くをぶらぶらしながら、何か飲み物でも買ってそのついでに旧札を手に入れられないかな、などと思ったのだが、そう都合よくお店が開いていない。

 しかたないのでウラワザ(?)を。。。町の集配局らしき郵便局があったので入ってみると、案の定、貯金のATMが稼働していた。自分の口座に入金することにして、まず一万円札を入れ、預入金額を指定する画面で1,000円と入力すると、9,000円のお釣りが出てくる。旧千円札ばかり9枚であった。新札の流通量がまだ少ないのだろうか。

雄武の町 雄武の町

 降りしきる雪を、道の駅のひさしで避けながら、缶コーヒーを手に、バスを待つ。──ほどなく、枝幸(えさし)行きの宗谷バスがやって来た。

枝幸行きバス すぐに陽が射してきた

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 3人ほどの乗客を乗せたバスに粛々と揺られていった。さらに海沿いを行く。しばらくすると雪雲が割れ、青空が広がってきた。小樽弁(おたるべん)、風烈布(ふうれっぷ)、乙忠部(おっちゅうべ)といったアイヌ語の停留所名が続く。

 オホーツク海もそろそろ見飽きて来た頃で、ああ、またね、といった感じで何気なく視線をやったとき、はたと気がついた。朝に見た北浜駅ではあれほど激しく打ち寄せていた波が、ない。海は暗い灰色に沈んで、じっと動かずに、死んでいた。──海面が結氷しているのだろう。もちろん、水面下では潮の動きはあるのだろうが、息をひそめてしまった暗い海に、いまさらながらに気付いて、車窓から見入ってしまった。はるかかなた、天との境には、水平線の代わりに、ひとすじの白い線が走っていた。流氷大陸が近づいているのだ。

バス車内 静止した海

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枝幸駅前「一級食堂」 枝幸のターミナルも、国鉄時代の北見枝幸駅のそのままの位置だと聞く。目の前にある古びた食べ物屋さんは、「駅前食堂」「一級食堂」の看板をあげていて、これも鉄道が走っていた時代のままだそうな。

 しかし、ターミナルの隣には、比較的大きなショッピングセンターがあって、買い物客の自家用車が出入りしていた。入ってみると、何でもありで、スーパーマーケットと洋服売り場とインテリア売り場とその他いろいろ、本屋さんもあったかな? ファーストフードも入ってたぞ。買い物客がぱらぱらといて、明るい雰囲気ではあった。

枝幸の町 少し町を歩いてみたが、除雪はされてはいるもののちょっと角を曲がろうとすると膝まで雪に埋まったりする。家どうしの間がつまっていないので、スカスカとした感じの眺めだ。というか、雪がない時期にいったい何があるのかよくわからない空間が多い。雪がなくなっても何もないのかも知れないが…。

 駅前の「一級食堂」に入ってラーメンを食べ(考えてみるとこれがこの日最初のまともな食事だった)、例のショッピングセンターで買ったカフェラッテを手に、ターミナルに戻る。

* * *

 枝幸からは浜頓別(はまとんべつ)ターミナル行きのバスに乗った。この区間は、国鉄時代の興浜北線と並行している。浜頓別まで45分。

峠を抜けて、北緯45度圏へ。 この区間で、徐々に日が暮れてしまった。眼前には、ずんぐりとした山塊が海に張り出した、神威岬がそびえ立っている。斜内山道と呼ばれる難所で、興浜北線時代は、ディーゼルカーが岬の突端の中腹の急カーヴをゆっくりとまわる、絶景のポイントだったそうだが、国道238号線は、岬の手前で旧道を分岐すると容赦なく真新しいトンネルに突っ込んで行った。

 岬の山塊が後ろに遠ざかり、牧草地らしき雪原の中に何基もの発電風車が立ち並ぶのが見えた。浜頓別の市街である。



闇に啼く白鳥
浜頓別ターミナル19:07→稚内駅前ターミナル21:30頃(定刻21:40) 宗谷バス(天北線) 2,120円

浜頓別ターミナル 時刻表どおりに浜頓別まで着いた。雪は止んでいる。──あとは稚内行きの最終バスに乗るだけ。どうやら無事、今日中に稚内までたどり着けそうだ。たいしたものである。

 浜頓別は、白鳥の飛来地として知られるクッチャロ湖のほとりにある町。鉄道の時代は、宗谷本線の音威子府(おといねっぷ)から稚内へ向かう天北線と、枝幸への興浜北線との分岐駅だったが、いまでは両方とも廃線となっている。これから乗る稚内行きのバスも、音威子府始発の天北線代替バスである。

 しかし、バスの接続が悪い。浜頓別ターミナルに降り立ったのは17時10分で、ちょうどよく17時20分に下りの天北線バスがあるが、これが小石という途中駅止まり。稚内行きのバスは19時07分までない。2時間近くもの大休止となった。

* * *

クッチャロ湖への道 夕闇が迫る浜頓別ターミナルから、「クッチャロ湖」の道路標識にしたがって歩き出してみた。よく整備された道路で、街路灯も明るいけれど、車道と歩道の間には、除雪された雪がうずたかい壁になっている。道路際も同様であり、雪と雪の中を、雪を踏みしめながら歩く。雪に対してほんと、食傷気味になってくる。

 人もいない、車も通らない道を渡ったり曲がったりして、クッチャロ湖へ向かったが、暗くなってしまって、まともな写真も撮れなかった。荒涼とした夕暮れの中、啼き交わす白鳥たちの声のみ、凄みをもって響いてくる。

 クッチャロ湖はたしかラムサール条約に登録されているし、湖畔には町営の温泉施設もあって、だからとにかく道路は整備されているのだが、誰一人として人間も車も通らないから気持ち悪い──街路が完璧に整備されているので、むしろ逆に妙な気分になってくるのだ。核戦争後の世界みたいである。

クッチャロ湖、白鳥たちの声が響く

 温泉施設の建物に入ってトイレを借り、ついでに食堂でコーヒーを飲んで休憩した。浴衣を着た宿泊客が2組ほど、夕食を取っており、そこに紛れ込んだ異装の旅行者はちょっと場違いであった。

* * *

左の建物がバスターミナル、右に見えるのが町役場。 雪原の向こうに輝くコンビニ(セイコーマート)の看板に誘われて(苦笑)、パンや飲み物を買い込んだりして、浜頓別の町役場の建物が非常に豪勢であるのに驚いたりしてから、バスターミナルに戻った。

 バスターミナルの待合室は、地元のおばさんと旅行者が2〜3名くらいしかおらず、おおいかぶさるような雪の量もあいまって、暗い雰囲気であった。窓口の職員もすでに帰り支度を始めている。

 待合室には、鉄道があった時代の写真などが展示されていた。東京あたりに住むぼくにとっては、町に鉄道があり列車が走っているというのは、もう当たり前のことだから、それがなくなるということがどういうことなのか、わからない。鉄道があった時代のこの町のことを知らないから、感傷がわくこともない。──このバスターミナルも国鉄の駅の跡地だということである。

* * *

 19時07分、音威子府からのバスが、前面に雪をびっしりとつけてやって来た。観光バスのような大型バスであった。本日最終の稚内行きである。

 先客は数名おり、若い男女などもいたが、鬼志別ターミナルまでにほとんど降りていった。もう夜なので車窓の風景もわからない。バスは、猿払(さるふつ)村の浜鬼志別まで海沿いを進んでから、内陸に転進して峠越えに入るはずである。真っ暗な山道を左右に彷徨するこのバスの、前にも後ろにも車のライトはなく、他に走る車も人もいないようであった。

夜の天北線バス、乗客は4名。猿払村内には「猿骨(さるこつ)」とか「鬼志別」とか、なんだか不気味な字面の地名が多い… 稚内への峠越え。時折、雪に押しつぶされそうな待合所が現れる



最北のシティホテルにて
稚内全日空ホテル

 低い家並みの町に入って、終点に着いたのは21時30分過ぎだった。稚内の駅にほど近い、宗谷バスのバスターミナルである。、高校2年の2月に一度来たことがあるので、まる8年ぶりであるが、駅前のたたずまいなどはほとんど変わっていないような気がする。雪が降りしきっていた。

稚内全日空ホテル 稚内駅の北側、防波堤ドームの手前の雪原の只中に、この町で一番高いのではないかと思われる建物があった。稚内まで来たら必ず泊まろうと思っていた──とは言うものの特に深い意味はないのだが──、稚内全日空ホテルである。その光の塔を目指して、顔にまともに雪を受けながら、歩いていく。

 ロビーはきらびやかだが、他に客の姿はなかった。思わず声をひそめるようにしてチェックインし、角の部屋に入ったが、あまりの重苦しさに、酒が飲みたくなってきた。普段はほとんど飲まないぼくにしては異例である。

 幸い、バーラウンジはまだ営業時間だったので、上がってみると、若い男女の客が2〜3組いた。防波堤ドームを見下ろし、ゆるやかに彎曲した海岸線の灯を見晴るかすカウンター席で、ビールを。しかし、つまみに頼んだメニューは少し残念な代物だった。バーテンダーも、あまり客としゃべりたくなさそうだったので、適当に切り上げた。

 部屋に戻って寝ようとすると、ポタッ、…ポタッ、という音が耳についた。カーテンを開けてみると、大きな窓の一面に結露がついて、窓枠はびしょ濡れになっていた。このガラスの外側では、氷点下の北風が樺太のかなたから吹き降ろしているのだ。──稚内全日空ホテル!

稚内の防波堤ドーム。 なかなか壮観だけど、東京だったら絶対にダンボールハウスの団地と化してしまうところ。でも当地では、とくに立ち入り規制とかをすることもなく、夏休みなんかはライダーが集まってテント張ってるそうですよ。



地吹雪の町
稚内市、宗谷岬

稚内市街 翌朝、部屋の窓から見下ろす稚内の町も、やはり雪であった。午後の飛行機さえ飛んでくれればいいんだけど。

 先述のとおり、稚内には一度来たことがあるが、そのときは、市街から近いノシャップ岬には行ったものの、「最北端」の宗谷岬には行っていない。バスで1時間くらいかかるんだよな。今回は飛行機に乗る前に行ってみようと思うが、バスの便が最悪であって、朝8時のバスに乗らなければ次は午後の13時45分まで宗谷岬(大岬)行きの便はなく、そんなのに乗っていると帰りの羽田便に間に合わない。然るに、8時にはまだ部屋で寝ぼけていたから、路線バスで宗谷岬に行くのは不可能になってしまった。十分予想できたことなのだけれど、ちょっと唖然として、窓の外を飛び交う吹雪を眺める。

* * *

 ホテルをチェックアウトして、まずは稚内公園へ。路地では住民の人たちがさかんに雪かきをしていた。

稚内駅 稚内の町は、ずんぐりとした山に見下ろされている。北に突き出した山塊が半島となっていて、その東側にあるわずかな細長い平地に貼りついているのが、稚内の市街地なのである。

 山の上は、稚内公園という公園になっている。駅前から大通りを渡り、5分ほど歩いたところの住宅街の中に、山を登るロープウェイの乗り場があった。この雪だが、「只今運行中」という頼もしい看板が出ていた。小さなロープウェイに乗り込んで、2分ほどで山の上に着いた。

運行中だ! ロープウェイ山麓駅

 山の上に登ってみると、はるかに「開基百年記念塔」がそびえ立ち(ただし冬季閉鎖中)、スキーのゲレンデがあってリフトも動いていた。スキーヤーはあまりいないようだったが。

ゲレンデと記念塔 発電風車も1基、建っている

氷雪の門の乙女は、この空白に何を見るか ここは地形が台地状になっていて、奥のほうに入ると下界が視界に入らなくなる。町も海も見えず、見渡す限り灰色の空になってしまう。こんな視野、ちょっと普通では見られない。雪を漕ぎながらそんな世界を歩いていくと、だんだん不思議な気分になってくる。吹雪はときおり激しくなり、ついさっきまで見えていたはずの百年記念塔が一瞬のうちに見えなくなったりするほどだ。

 台地の端に、「氷雪の門」というモニュメントが建っていた。旧日本領の樺太での死者への慰霊と望郷の念のシンボルで、晴れた日にはブロンズの乙女の肩越しにサハリンが見えるのだそうだ。──しかし、茫漠とした鉛色の虚無が、すべてを呑みこむように広がるのみであった。

「九人の乙女の碑」。樺太の真岡で、侵攻してくるソ連軍の攻撃にさらされた電話交換手の女性たちの最後の言葉、「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら…」が刻まれている。玉音放送の5日後のことだそうです 重苦しい鉛色の視界に、息苦しくなってくる。実際、雪と風が激しく、呼吸ができないくらいであった

* * *

 このあと、地吹雪の国道をタクシーで飛ばして、宗谷岬まで往復した。宗谷岬の土産物屋などもほとんど店を閉めていて、観光客もいなかった。風紋のできた雪を踏んで、打ち寄せる波を眺めてから、引き返した。帰りは飛行場に直行すると、ちょうど羽田行きによい時間だった。──時間にわがままな観光客を相手に、危険な道を飛ばしてくれた運転士さん、「あと2時間もしたら雪のない東京なんですねえ」と言う。なんだか申し訳ないような、去りがたいような気分であった。

最北端の碑 宗谷岬の集落。地吹雪が吹き荒れる


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