三日目。ホテルの部屋のカーテンを開けると、すっきりよい天気だった。西門駅からMRT板南線に乗って、忠孝復興(Zhongxiao Fuxing/チョンシァオ・フーシン)で下車。通勤ラッシュの時間帯だったが、東京の比ではなく、京都か札幌くらいだ。
今日は日月潭(Sun Moon Lake/ズィーユェタン)に足を伸ばそうと思っている。日月潭とは、台湾の中部の山の方にある、台湾最大の湖で、その昔は先住民の住むところとして有名だったらしい。今では風光明媚な観光・リゾート地だが、台北からだと高速バスで4時間くらいかかる場所であり、台北から日帰りしたという話はあまり聞かない。
台北から日月潭への高速バスは、『歩き方』などの一般的なガイドブックによると、国営バス会社の流れをくむ國光客運(クォクァン・クーユィン)というバス会社が、台鉄の臺北車站の隣にある長距離バスターミナルから、一日四本運行しているとのこと(ものの本によると一日二本と書いてあるものもあり、最近増えたのかも)。ぼくもこのバスターミナルに行ってみたが、日月潭まで465元との掲示があった。
──しかし、事前にネットを渉猟していたところ、豐榮客運(フォンロン・クーユィン)という会社が最近になって台北~日月潭の高速バスに参入し、片道400元で一時間に一本走っているらしい。これは見逃せない。
その豐榮客運の日月潭行きが出るのが、忠孝復興だというのでやって来たのだった。この会社は日月潭近辺の地元のバス会社らしく、台北行き路線に参入するにあたって、比較的新しく発展している忠孝復興に営業所を設け、市内南部の公館地区(臺灣大学がある)や、郊外の新店市などを通る新しい経路で路線を設定したらしい。このへんの機微は日本の高速バスと事情が似ている。
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MRTの忠孝復興站は、東西に延びる忠孝東路と南北に延びる復興北路・復興南路との交差点に位置する。それぞれ、地下の板南線、高架の木柵線という電車が走っていて、繁華な乗り換え駅になっている。地上に出て少しうろうろしたら、緑色の看板で“埔里・日月潭”と出ているのが見つかった。豐榮客運の営業所だ。営業所自体はごく狭く、カウンターと、奥に数人分の待合室があるだけだった。
#豐榮客運の埔里、魚池郷、日月潭行きの営業所は、MRT忠孝復興駅下車、地上の交差点で、南西側の角(復興南路より西側の、忠孝東路の南側)に出て、忠孝東路を西に歩いてすぐのところにあります。緑の看板が目印。(2005年11月24日)
時刻は8時15分頃。カウンターにいたおばさんから、9時ちょうど発の便の切符を買った。相変わらずぼくのインチキ華語は通じにくくて苦労したが、まあ切符くらいはなんとかなった。ぼくが煙草を吸っていたので、おばさんに「ここは禁煙だよアンタ」と怒られたが、これは100パーセントぼくが悪い(^^;。
バスは営業所のすぐ前の路上から出るという。ひとまずコンビニで食料や新聞を買い込み、ぶらぶら散歩してから戻ると、緑色の大型バスが歩道に横付けされていた。「九點開車的?(9時発車のだよね?)」と運転士に確認して、乗り込む。革張りの大きな座席が横3列で並ぶ、まずまずの長距離仕様のバスだ。
携帯でずっと話しているビジネスマン風のおっさん、中年女性の二人組、など、ぼくとあわせて合計5人くらいの乗客を乗せて、発車した。これで一時間に一本走らせてるんなら、絶対近いうちに縮小されるな…。
公館や新店でも乗客はなく、バスは第二高速公路に乗って快走し始めた。高速は片側二~三車線あって、広々としている。長距離路線バスの巨大なダブルデッカー車がよく目につく。だいたい時速110キロくらいは出ている。
──右の画像は、台北の郊外の樹林というところにあった料金所で、東名高速風?に言うと「樹林バリア」だが、台湾の高速道路というのはインターチェンジ(交流道)の出入口には料金所がなく、一定の距離ごとに本線料金所があってそのたびに料金を払う、という仕組みらしい。中正空港から台北市内に来るときなどそれでものすごい混雑になるのだが。
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11時頃、台中龍井インター付近。新幹線(高鐵)の高架が広野を貫く。シャッターチャンスを逃したが、新台中駅(高鐵臺中站)も真新しい銀色の姿を現していた。高鐵の開業は来年秋とのことだが、──しかし、地図に描かれている高鐵の駅って、どこも市街地から遠く離れてるのが気になる。こんなんで使い物になるのか?
台中からさらに東南へ向かう高速道路に入り、幹線国道へと続く。景色がはっきりと変わってきた。
檳榔樹?
すごいバスが追い抜いていった
道路沿いには、檳榔売りのボックスが点々と並んでいる。しかし台北市内で見るようなしみったれた風情ではなく、ガラス張りのボックスにカラフルな看板など、派手な感じ。そしてだんだん看板がピンクっぽくなってきて、丸文字フォントで“咪咪檳榔”などと書いてあるに至っては、これはちと怪しい──華語の“咪咪(ミーミー)”はたしか“おっぱい”の意味だよな…。そしてついに、水着のおねいさんが現れた。──うわ~、“檳榔西施”って初めて見た。。。地方には今でもいるんだなあ。水着や下着(?)のおねいさんが、ボックスに座って檳榔の実を剥いたりなんかやってるのだ。お色気商売である。 #檳榔、檳榔西施については、ビンロウ - Wikipedia日本語版や、Betel nut Beauty - Wikipedia英語版を参照ください。臺北市と桃園縣では露出過多は禁止らしいぞ~。しかし、檳榔自体が我々日本人にはよくわからない品物なのに、それを売るためにさらにこんなことになっているというのは、ほんと、摩訶不思議な文化である。──さすがに走るバスの窓からは写真撮れなかったので残念。(?)
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12時20分頃、埔里(Puli/プーリー)という地方都市(紹興酒の醸造で有名)に入っておばさん二人組を下ろし、さらに山を上っていく。途中、ガソリンスタンドに寄ってやおらホースで洗車を始めたりしたが(15分間くらいそれで食ったが、ガソリンスタンドの女の子がかわいかった^^)、そんなのも含めて臺北市忠孝復興の営業所を出てから4時間くらい、ついに木々の間に湖水が見えた。エメラルドグリーンの深い色が美しい。バスは集落の道端に着いて、下車。13時頃だった。
陽射しは強いが、湖水を渡る風はすがすがしい。/日月潭の旅館街。
湖畔のリゾートホテル。/中華風の観光船。このあと、遠足の小学生が大挙押し掛けて大騒ぎになった。
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しばらく湖畔をぶらぶら散歩してから、タクシーの溜りを目指す。──今日は最終的には台北市に帰るわけだが、さっきの豐榮客運のバスに乗れば安直に帰れてしまうものの、それはさすがに面白くない。
ここ日月潭から南に山を下ると、水里という町がある。そこには集集線というローカル線が通っていて、列車で臺中に出ることができる。臺中まで出れば、臺北までは特急自强號で2時間余りだ。
しかし日月潭から水里までが難物で、埔里と水里を結ぶ路線バスが一時間に一本程度走っているらしいのだが、前述の通りバス停には時刻が書いてないし、そんなバスを途中の停留所で捕まえるのは、ちとぼくの手には余る。それにこのまま水里に直行するのもつまらない。文武廟などの観光名所が湖畔には点在しており、ひとつくらいは巡りたい。
…などと思いながら、タクシー溜りに近付く。と言っても運転手たちはほとんどおらず、おばちゃんが一人いた。タクシーの客引きらしい。話しかけてみると、「一周1,200元」と言う。これは日月潭一周の観光タクシーの協定統一料金であり、ガイドブックにも書いてあったし看板も出ていたから知っている。──湖をぐるっと回ってもらってから水里に行ってほしいのだ、と言うと、一周の1,200元、水里まで700元(これも協定価格)、あわせて1,900元だね、とのこと。明快である。
しかしこのとき、財布のなかの台湾元はそれほど潤沢ではなかった。水里から臺中、さらに臺北までの列車代と、食事もしなきゃいけないし、それでカツカツになっちゃうのも危機管理的によろしくない。また実際、水里の列車の時刻があるのでそれほどのんびりと観光するつもりもなかった。
「1,900元だよ、さあ乗った乗った」という感じで、おばちゃんはぼくを車に乗せようとするが、──ちょっと待った、悪いけどそんなにお金ないのよ。
ぼくは彼方に見える塔を指差し、──ここから、まず慈恩塔に行ってくれ。景色を見たい。そのあと水里まで行ってくれ。水里駅16時47分のこの列車に乗りたい(時刻表を見せながら)。それでいくらになる?
おばちゃんが「イーチエンウー(1,500)」と言うのを「イーチエンアル(1,200)」に値切り、交渉成立。
1,200元、日本円にして4,440円。まあ今にして思うと、協定料金が決められてるところに、走行距離的には日月潭を約一周に加えて水里まで行かせちゃったわけで、悪いような気もする。──しかしこのおばちゃん、車に乗ってみたら、ダッシュボードに掲示されているタクシーの乗務員証は、男性のものであった(最初、おばちゃんは客引きでどこかで旦那が出て来るのかと思ったが、最後までおばちゃんがハンドルを握った)。旦那が何かで仕事できない間のアルバイトなのだろうか。いずれにしても正規の営業ではないことは確かだよな。
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そんなわけで、湖畔の道路をおばちゃんのタクシーでドライヴ。山間の道路の感じ、右側通行であることを除けば日本の白樺湖あたりと大差ない。
慈恩塔(ツーエンター)は、かいつまんで説明すると、蒋介石総統が、母親を亡くして悲しくて建てた塔である(?)。小高い山のふもとに車を停めて、参道の階段を上っていく。途中、明らかに地元台湾人の家族なのに老人に対してだけなんと日本語で「よかったねー」などと話しかけている一家とすれ違った。台湾の日本語世代、日本の戦前世代、どちらも消えていこうとしている世代である。
塔の中はがらんどうで階段がぐるぐると巻かれているだけ。頂上に鐘があった。塔の上からの日月潭の眺めは素晴らしく、涼しい風を浴びながらしばらくぼんやりとしていた。
下りると、おばちゃんが新聞を読みながら待っていた。時刻は15時半。水里へ出発。
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水里(Shueili/シュェイリー)の町に入り、駅前で下ろしてもらった。立派な駅舎だったが人影はなかった。窓口で、臺中まで113元(418円)の切符を買う。──切符に「通勤電車」って大きく書いてあるのが面白い。列車の種類のつもりなのだろうが…。鉄道って、日本みたいな日常的な乗り物では必ずしもなかったりするんだよね。長距離を行くのがメインで、短距離のは通勤用の特殊な列車、という考え方だったりする。韓国にも「トングンヨルチャ(通勤列車)」っていうのがあったらしいし。
列車の時間まで小一時間余ったので、自助餐の店のベンチで軽く食べて、ぼんやりと町を眺めていた。今日はこんな時間の流れかたをするのが嬉しい。仕事をしているとこんなことは望むべくもない。
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臺中行きのディーゼルカーがやって来た。三両編成で、そこそこの乗客が乗っており、途中駅からは大きなカメラを首から下げた観光客ふうの人たちも乗ってきて、結構繁盛してるみたい。──車両の銘板を見ると“NIPPON SHARYO 1998”。日本製だよ。
てれってってっててーれれー、てーれー♪
「世界の車窓から」、今日は集集線をお送りします。
水里駅を発車します。
こんなところを走ります。 濁水(Jhuoshuei/ジュオシュェイ)駅に着きました。
かぶりつきをしているうちに結構混んできたので、客席に戻る。
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すっかり暗くなり、西部幹線の二水(Ershuei/アルシュェイ)に着いた。車掌は何か大声でよばわりなから車内を歩き、乗客もほとんどみんな降りてしまった。見ると車掌は弁当を食べ始めている。
この列車は本線に直通する臺中行きなのだが、本線の列車を先に出すのかな、隣に停まっている列車は“斗六”行きになってるけど斗六ってたしかここから南の方の駅だったよな…、と思いながらホームに降りた。地下道を通って駅舎側のホームに渡ってみたら、発車案内標に17時36発“三義”行きの列車が表示されている。ここから北に行くと臺中の手前で路線が二つに分かれるはずなのだが、三義というのがどっち側の路線の駅なのかわからず、駅員に「これは臺中に行くか?」と尋ねたところ、行くとのこと。暗いホームで列車を待つ。
なんかぼくが海外に行くと、しばしば夜のホームで列車を待つことになるなあ。
17時36分発の三義行き電車は、“準點”(定刻)と言っていたわりには数分遅れてやってきた。昨日、基隆から台北まで乗ったのと同じ型の、韓国DAEWOO製の電車。JRの113系の中古とか、221系とかを売り込んだらどうかね。
途中、「田中(Tianjhong/ティエンチョン)」とか「追分(Jhuifen/チュイフェン)」なんて駅がある。これっておそらく、日本語の“たなか”や“おいわけ”なんだろうな。台北の郊外にも“汐止(シージー)”とか“板橋(バンチァオ)”という街があるが、これも「しおどめ」「いたばし」っぽいなあ。
──夜の通勤通学客に混じってロングシートの電車に座ること小一時間、18時33分、臺中(Taichung/タイチョン)に到着。大正時代の煉瓦づくりの駅舎がライトアップされていた。
臺中車站。1917年築。
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薄暗い窓口に並んで、19時42分発の自强號の切符を買った。臺北まで375元(1,387円)。ここでもやはり一発では言葉が通じず、焦る。ほうほうのていで用を済ませ窓口を去るとき、ぼくの後ろに並んでいた女子中学生が、のんびりと歌うように「兩張到田中!(田中まで二枚)」と窓口に言っていたのが印象的だった。すごくきれいな華語の発音だったのだ。
夜の台中の街を散歩して、軽く食事をしてから駅に戻る。臺北・松山行きの自强號は数分遅れでやって来た。台北~高雄間の西部幹線は、相当の本数の列車が走る長距離の幹線鉄道で、にもかかわらず特急列車も普通列車も数分程度の遅れで走っているのだから、まずまずだと思う。
ホームの様子。/都市近郊には自動改札もある。
左:ホームにあった鉄道警察の詰所に掲げられていたプレート。お国柄である。 右:「松山行き・山線経由・自強号 19時42分 1番線 この列車は約1分遅れています」
自强號で臺北へ向かう。列車は比較的空いていて、次の停車駅で降りてしまう人もいたし、途中の新竹(Hsinchu/シンチュー)や桃園(Taoyuan/タオユェン)といった都市の間の客も多い。日本の在来線のエル特急に乗っているような気分。停車する駅の暗いホームと、どぎつい街のネオンを眺めていた。
臺北到着は21時56分。ホテルまでぶらぶらと歩いて帰る。
本日のコーヒー。
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たった3泊4日だったが、職場の夏休みをもぎ取って半分無理矢理来たようなものだったので、印象は強かった。台北駅の朝のラッシュを見て、田舎に出かけ、帰ってきて、夜の台北を見る。一日はとても長い。ふだん職場で一日ぼくは何をしているんだろう、などと思ってしまい、ちょっと落ち込んでしまったりもしたのだった。
最終日は、市内のエヴァーリッチ免税店に連れて行かれ(パック旅行の常ですな)、そのまま中正空港へ。帰りの飛行機ではビールを飲んでうとうとしているうちに日本に着いた。映りの悪い座席のパーソナルテレビで、『チャーリーとチョコレート工場』を華語字幕で見ていたのだが、途中1時間弱くらいまでしか覚えていないので、今に至るまでこの映画の結末を知らないのが心残りと言えなくもない(?)。
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台湾の鉄道時刻表は日本でも神田の書店街などにいけば入手できますが、臺灣鐵路管理局のサイト>火車時刻査詢系統で全列車の時刻を参照できます(要Big5フォント)。画像は、今回の旅行中に台北駅のインフォメーションでもらった、『臺灣鐵路簡易時刻表』です。ごく薄い冊子ですが、台鉄の全路線を網羅しています。「シーコーピァオ(時刻表)」か何か言えばおそらく通じます(?)。
高速バスについては、『台湾の高速バス事業者リンク集(作者:ASIA BUS CENTERさん)』を事前に参考にしました。
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