とぼとぼ韓国/第7〜8日


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郊外バスで北へ

 オドゥサン統一展望台。少し迷ったけれど、結局行ってみることにした。いくら人が住んでいない国境地帯だからと言って、自由に行ける民間人統制線の内側だし、そもそもソウルから40キロくらいの距離なのだ。町田のぼくの家から会社に行く方が遠いかも知れないくらいである。夜までにはソウル市内に帰ってこられるだろう。

#南北韓国(こちらの言い方では「南北朝鮮」とは言わない)の軍事境界線で有名なのは、唯一のゲートである板門店(パンムンジョム)で、ここに来れば南北の兵士が対峙する光景を見られるらしいけれど、ここは現地旅行会社が主催するツアーでしか行けず、2日前までに申し込まなければならない(しかもここは、一般の韓国人が来られるところではなく、外国の旅券を持っているからこそ行ける場所である)。自由に行ける場所としては、最近は板門店の少し手前の都羅山(トラサン)駅まで行けるようになったらしい。あと、ソウルから比較的近い場所として、この『オドゥサン展望台』がある。――とにかく、地図を見るとびっくりするけれど、軍事境界線とソウル市内って、本当に近い。

 10時40分頃に鐘路3街(チョンノ・サムガー)駅から地下鉄3号線に乗って、「佛光(プルグヮン)」駅で降りると、雑然とした下町だった。少し歩くと「西部バスターミナル(ソブ・ボストミノル)」があるはずだ。そこから国境近くの「ムンサン」に行くバスに乗って、金村(クムチョン)まで行けばいいのだ。

 しかし、近いはずなのにかなり迷ってたどりついたそこは、バスターミナルと言うよりはゴミ捨て場みたいなところだった。国道に面した雑居ビルのようなものを入ると、一応は待合室があったが、どこを見ても『バスターミナル』などという表示はなかった。その裏側には、ソウルから北東の街である「議政府(ウイジョンブ)」などの表示があるバス乗り場の看板がいくつか並んでいたが、ムンサンという文字は見当たらない。

 乗客もまばらだし、案内所など望むべくもない雰囲気だった。バス会社の事務所でもないのかと探したが、よくわからない。運転士の詰所のようなところも、人がいない。

* * *

 と、建物から離れて島になっている乗り場に、『909 ムンサン』と書かれたポールを見つけた。しかし時刻表はなかった。『歩き方』によれば1日7本とのこと、2時間くらい待っても不思議はない。──おとなしくソウル駅から列車に乗ればよかったかな、と思いつつぼんやりしていた。陽射しが照りつけて、暑い。

 すると、よくしたもので、『909』の札を出したバスがやってきた! 何という幸運。

 折り返しまでしばらく時間があるらしく、運転士はドアを開けたままどこかに行ってしまったが、とりあえず乗り込む。若い兵隊とぼくの2人だけだった。

 兵隊に、「くむちょん? くむちょにょく、かよ?(金村駅に行きますか?)」と訊ねると、「むんさん。」とは言うものの、間違いなく金村駅を通るかどうかは自信がなかったらしく、戻ってきた運転士に、「くむちょにょく、かじょ?」云々、とぼくの方を指さして何やら訊ねてくれた。そして、大丈夫だ、という風に笑顔でうなずく。運賃も、ここに入れるんだよ、と、親切だ。運賃は郊外バスなのに均一で、「ちょん・いーべぐぉん」、1200ウォンだった。なんと、ソウル市内の交通カードが使えるという掲示もある。

 さらにおばさんを2人くらい乗せて、バスは発車した。11時25分頃だった。1日7本のバス、しかも時刻の掲示もなく、それに20分ばかりで乗れたのだから、まずは幸先がよい。と言うか、よすぎる。

#ここに限らず、釜山でも慶州でも、ソウルでも、バスの停留所や地下鉄の駅に時刻表が掲示されているのをほとんど見なかった。地下鉄はすぐに来るからいいけれど、この手のバスは、みんないったいどうやって使いこなしているのだろう?

 バスは西北へ向かう国道を走る。1か所、15人くらいまとまって客を乗せた停留所があったけれど、そこを過ぎると、ソウル特別市から京畿(キョンギ)道・高陽(コヤン)市に入って、ほとんど乗り降りする客もない。

 国道は片側3車線くらいあって広いが、ところどころで大きな門のようなものをくぐる。これは爆弾が仕込んであって、戦争の時に爆破して北の軍隊の侵攻を阻むためのものだそうだが、そんなことを知っているのも『歩き方』のおかげである。

#今回思ったけれど、『地球の歩き方』というガイドブック、海外旅行をする若者がみんな持っているシンボルみたいなものなので、ぼくは初めは毛嫌いしていたのだが、使ってみると確かによくできたガイドブックである。市中の旅館までも、こまめにいくつか紹介されているし、情報や地図も比較的正確だ。この旅行を計画したとき、最初は違うガイドブックを買ったのだが、情報のあまりの少なさに焦れて、『歩き方』を立ち読みしたところ、一発で買ってしまったのだ。

 この道は、国境の板門店(パンムンジョム)へ向かう国道1号線で、別名『統一路』。しかし、田園風景の道路沿いにガソリンスタンドがあったり、丘の中腹に高層アパートが現れたりして、平凡な郊外の幹線道路という感じだ。でもときおり、“フィリピン軍参戦記念碑”が現れたりする。ほんの数十年前は戦場だったはずのところである。

 坡州(パジュ)市の市街に入り、商店やアパートなどが建て込んできた。おばあさんのグループが大声でしゃべりながら乗ってきて、1人がぼくの隣の席に座った。そろそろ金村(クムチョン)駅を通るはずだ。

 しかし、車内アナウンスのテープの声は、停留所の名前を一度に2つ読み上げているような気がする。「次は○○です、その次は××です」とでも言っているのだろうか。要するに次がどこなのか、よくわからない。――このあたりか、その次かな、、、と思ったあたりで、隣のおばあさんに、「くむちょにょく(金村駅)?」と何度も訊ね、運転士にも「よぎぬん、くむちょにょく?たうむん、くむちょにょく?(ここが金村駅?次が金村駅?、、、と言っているつもり)」などと確認して、金村駅ならここで降りてすぐそこだ、という意味のことを(たぶん)言われて、バスを降りた。少し歩くと、確かに目の前に金村駅があった。ソウルの西部ターミナルから乗って、1時間弱だった。


バスターミナルの廃墟、「ITエンジニア」

 金村駅前の小さな広場で一息ついてから、『歩き方』のページに従って、「金村のバスターミナル」を探した。金村は一応、銀行やスーパーなんかもあって、町としての体裁はととのっている。

 国鉄京義線のディーゼルカーがいる。踏切を渡りながら小さな田舎駅のホームを眺めたりしながら、なんだか寂れた方に来てしまった。そしてやはり、「バスターミナル」は見つからない。駅から少し離れると、広い道路が荒れ地を突っ切っていくだけの風景が広がる。

 おかしいなぁ、、、と思いながら歩き回っていると、道沿いに、どうやら怪しい建物と、タクシー会社の車庫のような空間がある。ただし、バスも人もいない。

 近づいてみると、建物は廃屋だった。「ターミナル食堂」という看板が色あせて、虚しい。ぐるっとひとまわりしてみると、ハングルの貼り紙がある。苦労しながら読み取ってみると、なんと、「このバスターミナルは9月1日から廃止された」という意味のことが書いてあるではないか!

金村のバスターミナル跡地
全身の力が抜けた瞬間。

 バスは幹線道路沿いの停留所から乗れ、ということで、案内図なども手書きで書いてあるのだが、その停留所に行ってみても、「オドゥサン」や「統一展望台」というような表示は、ない。ソウル市内や、「なんとかアパート」に行く路線しか書いてなかった。

 歩いて金村駅前に戻った。――学校帰りのような中学生が集団で歩いている。家族の車に拾ってもらいながら、友達とバイバイしている女の子もいる。駅前に続く道路は、ガソリンスタンドや町工場なんかが並んで、日本の地方都市とたいして変わりがない。ただし、空気はちょっとトウガラシくさいけれど。

* * *

 金村駅前のタクシー乗り場には、何台もタクシーが溜まっていて、運転士どうしがべちゃべちゃとおしゃべりしていた。そこに近づいて、「おどぅさん・とんいるちょんまんでー(オドゥサン統一展望台)」と言うと、おお、ちょんまんでー、とぼくの腕を取って車内に連れこまんばかりの勢いだ。踏みとどまって、「いくら?」と訊くと、1万ウォンだと言う。この国でタクシーを使うのは初めてなので、安いのか高いのかよくわからない。だったら訊かなければいいのだが、一応の心の準備ってものが要る(^^;

 中年のオッチャンのタクシーに乗って、統一展望台を目指した。オッチャンはものすごくブロークンな英語で、「ジャパネソ?ジャパネソ?」と訊いてくる。あぁ、イェス、ジャパニーズ、などと答える。

 ――そうか日本か。トーキョーか?
 「うん、東京。」
 ――学生か?
 「いや、会社員。」

 ――ITエンジニア?
 (いきなりそう来るか、、?? まぁITエンジニアに入るのかなぁ、ぼくも)
 「イェス、ITエンジニア。」
 ――ソニー?ヒタチ?ホンダ?
 (ホンダのITエンジニアって何だよ?!)
 「あ〜、いや、違う。 I work for NTT。 知ってる?」
 ――オゥ、NTT! Good!!
 (おいおい^^;)

#正確に言うとぼくはNTT社員ではないのだけれど、まぁ大目に見てください。。。

 …なんていう怪しい会話を交わしながらも、オッチャンは国道を100キロ近くでぶっ飛ばす。――あの赤い建物を見ろ、あれは学校だ(あぁそう)、とか、――これは韓国の水田だ(見りゃわかる)、とか、いいから前を見て運転してくれ、、、という恐怖も覚えるけれど、まぁ陽気な人だ。

 「ドゥーユーハヴ・コルプレン?」とオッチャンが訊く。…コルプレン?? 訊き返すと、「コール。コール。」 ちっともわからない。よくよく訊いてみて、韓国語で「よじゃ・ちんぐ(女友達)」と言われて初めてわかった。「girl friend」と言っているのだ。韓国語では語頭に濁音が来ないため、韓国なまりの英語だと、「ガールフレンド」は「コールプレンドゥ」になるのだ。――あぁ、もぅ、どうでもいいじゃないかそんなこと(自爆)

 道が細くなって、丘陵地帯を越えていくようになる。道端に、「第××部隊」なんて書かれた看板があって、なるほど、銃を持った兵隊が立っている。オッチャンはやはり、「ザッツ、コリアン・アーミー。」と指差す。

* * *

 しばらくぶっ飛ばしていったところで、山を登るような道の入口に検問所があって、銃剣つきの軽機関銃を持った兵隊が、ぼくらの車を止めた。どうやらここが展望台への入口らしい。

 オッチャンと兵隊は、しばらく言葉を交わしていた。兵隊が「ダメ」というようなことを言い、オッチャンは、後部座席のぼくを指差して「イルボンサラム(日本人)…」とか何とか言っている。ダッシュボードからラミネート加工された緑色のカードを取り出して、兵隊に見せる。兵隊はそれをちらっと見て、ふん、と言った感じでオッチャンに返す。結局、オッチャンは運転免許証(タクシー会社の身分証明書かもしれない)を兵隊に渡して、やっとOKとなった。

 車は坂道を登っていく。オッチャンに、「何て言ってたの?」と訊くと、「シャトルバスしか入れないって言うんだ、でも(緑色のカードを見せて)これがあるからフリーパスだよ、アハハ

 …だからフリーパスじゃなかったんじゃないか、おい。

 ともかく、タクシーはギュンギュンと坂道を巻いて登り切って、頂上のロータリーに着いた。

 メーターは10,150ウォンになっていたが、オッチャンは、――1万ウォンでいいよ、と言う。100ウォン硬貨があったので、せめてもと思って渡して、タクシーを降りた。


望遠鏡でのぞく国

 ぼくがタクシーを降りたロータリーに、青地に白で『統一展望台』というハングルが書かれたバスがやってきた。客がぞろぞろと降り、こちらで列を作って待っていた客が乗り込む。そのうちの一人に英語で、「このバスはどこ行き?駅?」と尋ねると、「ジャスト・ザ・ロゥアー・レヴェル」、山の下に行くだけということらしい。

 これが「シャトルバス」で、山の下にはおそらく、シャトルバス乗り場と駐車場なんかがあるのだろう。帰りはこれに乗って山を下りて、そこから金村駅までは、またタクシーを拾うことになるかもしれない。

 さて、統一展望台は、山の頂上に建つ、4階建てだかの建物だった。入場券を買って入ると、まずロビーでは「北韓都市地域衛星写真展」というハングル文字の横断幕がかかっていて、白黒のパネルが並んでいる。見ると、ピョンヤン、ハムフン、チョンジン…。韓国人たちに混じって、硬いコントラストに映し出された北朝鮮の街を眺める。

 展望室への階段を上ると、若い女性のスタッフ──韓国では珍しく、スカートが膝上──が待ちかまえていて、にこやかに、かつキッパリと、「日本語の説明、上です」と指示する。やっぱりぼくは一目で日本人とわかるのか。…上に行くと、映画館のように階段状に椅子が並び、大きな窓が湾曲した広い「展望室」で、日本語のヴィデオが流されていた。中年の日本人観光客が10人ほど、それを見ている。

 目の前には広い川──臨津江(イムジンガン)──が流れていて、これと漢江(ハンガン)が合流する地点の突端に、この展望台は建っている。臨津江の対岸には水田が広がり、アパートのような建物も霞んで見える。これが北朝鮮の開豊(ケープン)郡だそうだ。

 これでは遠くてちょっとよくわからない、というわけで(?)、展望デッキに出ると、観光地にありがちなコイン式の望遠鏡が並んでいた。

展望デッキ 500ウォン硬貨を入れたが、いくら覗いてもちっとも見えず、なにこれ壊れてるんじゃないの? と何度か叩いたが、駄目なのでいったん諦めたのだけれど、ふとした角度でその望遠鏡のレンズから光が射しているのに気付いて慌てて覗いたら、たしかに見えていた(苦笑)。しかし、時間を無駄にしたものだからすぐにパシャッと真っ暗になってしまい、また硬貨を入れる。観光地の望遠鏡ごときに1,000ウォンも使ってしまったけれど、北朝鮮の農村なんてここに来なければまず見られまい。

 望遠鏡から覗く北朝鮮は、静かな農村だった。車はたしかに1台もいない。アパートの前で子供が遊んでいるわけでもなく、洗濯物が干してあるわけでもなく、生活のにおいのようなものを望遠鏡越しにつかみ取るのは難しかった。

 金色に実った水田が広がり、その間を人が歩いているのが見えた。超望遠のレンズを通した人影は、目を凝らしても、ぼんやりと揺らいだ、まぼろしのようだった。ぼくは、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を思い出した。──あぁ、北朝鮮という国は“世界の終わりの街”なんだ、と思った。

 

北朝鮮領内を望む
遠い国

「北韓教科書展示」 建物の中では、さまざまな北朝鮮グッズが展示されていて、売店ではお酒だの乾物だの、北朝鮮製品も売られていた。北の学校の教室を模した部屋もあって、ザラ紙でできた「北韓」(北朝鮮)の教科書が展示されている。黒板の上に貼ってある写真はもちろん、「首領様」(金日成主席)と「将軍様」(金正日委員長)である。しかし、望遠鏡で覗いた、穏やかな風景の印象が強くて、こんなのただの作り物じゃないか、という気がしてしまった。別に望遠鏡で何を見たわけでもなく、ただ農村風景が見えただけなんだけど、不思議に濃密なものを感じたのだ。


バスに嫌われるの巻

統一展望台駐車場 ロータリーから、シャトルバスで山を下りた。5分ほどで、麓にあるドライヴインのようなところに着く。午後2時半頃だった。さすがにお腹が空いたので、何を食ってもマズそうな食堂で、ピビム・ネンミョン(冷麺)を食べた。これはもう真っ赤で、食べ終わってしばらくは、煙草を吸うと自分の口から火が噴いているような感じがした。一体なぜここまで辛くしなければならないのか、と言いたくなるほど、辛かった。

 さて、道路沿いのフェンスに、「金村行き時間表」と書かれた板が貼ってあって、時刻が書いてある。なんと、駅までバスがあるらしい。シャトルバス乗り場の職員に、「クムチョン行きのバスはここでいいんだね?」と確認して、15時ちょうどのバスを待つことにした。バスは2系統あるらしく、15時00分、15時20分、その次が16時00分、となっている。

 な〜んだ、大象旅行社のC氏はあんなこと言ってたけど、ここで待ってればバスに乗れるんじゃん、楽勝じゃんか。。。と、のんきに構えて、歩道の敷石に座って待っていたけれど、しかし、事はそう簡単には運ばなかった。

 ――いつまで待ってもバスが来ないのである。14時50分頃からその「時間表」の前に座っていて、15時00分、15時20分…。バスなど来る気配がない。大型車の音がする!と振り向いても、ツアー客用の観光バスだったり、軍隊のジープトラックだったりする。

 駐車場と、繁く出入りするシャトルバスと、目の前の広い道路を交互に眺めながら、ぼくはここに至ってやっと理解した。――この統一展望台を訪れる客は、みんな、自家用車でこの駐車場にやって来て、車を置いて、無料のシャトルバスに乗り換えて、山を登るのだ。逆に、自家用車以外でここに来る人は、観光バスで直接乗り付ける団体様だけ。…ぼくのように個人で来て、しかも山頂でタクシーを返してしまう、というような間抜けなことをする人は、他にいないのだった。

 状況が飲み込めてくると、路肩に車を止めて降りてくる夫婦やグループたちの姿が、急によそよそしく感じられてきた。駐車場にタクシーの姿を探したが、当然、いるわけがなかった。タクシーで来るような客は山頂の展望台まで行ってしまうだろう。道路沿いに人家はなく、後ろの丘の上にけばけばしいホテルが見えるくらい。そして、バスは来ない。。。

 15時35分になって、ぼくは歩き始めた。さっき、金村駅から山の上の展望台まで、あのオッチャンがぶっ飛ばして15分ほどだった。ということは、途中でタクシーが拾えれば良し、最悪でも2時間歩けば、金村の町に帰れるだろう。…しかし、歩き出したところに後ろからバスが走り去ってしまう、という可能性もなくはなかったので、これは賭けだった。

バス時刻表
嘘つき時刻表。

* * *

 タクシーに乗ってきた道だから、だいたいわかる。まっすぐ行くと国道にぶつかって、右に行けばいいはずだ。。。

 道路沿いには、ときおり工事中のホテルや(誰が泊まるんだこんなところに)、料理屋なんかが建っていて、歩道脇の草地でピクニックしてるグループがいたりする。いったい何を目的にこんなところまで来て道路際でお弁当を広げているのか、よくわからないけれど、このあたりにどうやら「統一公園」というのがあるらしく(スポーツカーを運転した若いカップルに「とんいる・こんうぉんってどこよ?」と訊かれた。もちろんぼくは知らない)、一応は郊外のレクリエーションエリアなのかなぁ。埃っぽいところだけどねえ。

 国道に入って、またひたすら歩く。右も左も荒れ地、でも遠くの方に宅地造成中の丘があって、そこに向かう広い道路が工事中、、、といった感じで、八王子の山の中にこんなところがあったような気がするなぁ、などとぼんやり思う。タクシーが通りかからないかと思って、歩きながら何度も後ろを振り返る。こんなところを歩く人は、ぼくの他には誰もいない。

 途中、道が狭くなって、歩道もなくなる。こんなところで車に轢かれて死にたくないなぁ、と思ったが、うまい具合に拡幅の用地が確保されていて、でこぼこの泥道や砂利を踏みしめて歩く。

 「人の住んでないところです」とC氏は言っていた。たしかに、集落などはないけれど、ときおり、一戸建てが分譲中らしく、おもちゃのような家が並んでいるのが見えた。こんなところに家を買う人がいるのだろうか。車があればべつに平気なのだろうか。まさかここからソウルに通勤する人がいるとも思えないが。。。まぁしかし、東京だって、ちょっとびっくりするような不便なところにみんな家を買っていくからなぁ、と思い直す。いずこも同じか。(??)

* * *

 とぼとぼと歩いて1時間ほど。道が狭くなって、両側に商店やちょっとした集落があるところに、バス停のポールがあった。バス停、ふん、なにさ、、、と思いながら、すこし休んだ。地元の子供や、老婆が所在なげに佇んでいた。バスを待っているのだろうか。…しかし時刻表などはついておらず、老婆に、「くむちょんへん・ぽす、みょっしみょっぷんいえよ?(金村行きのバスは何時何分ですか?と言ったつもり)」と訊ねてみても、何だか通じないみたいだった。

 歩くか、、、と思ったら、タクシーが1台通りかかった。空車だ! 全力で手を挙げて(^^;、停めた。

 「くむちょにょく(金村駅)、、、」と言って助手席に乗り込むと、なんと、行きに乗ったのと同じ運転士のオッチャンだった。

 …びっくりしたけれど、お互い、あぁアンタか、といったふうに、顔を見合わせてニヤッとした。

 オッチャンは再び国道を飛ばす。――明日はソウルか? 「ん、仁川(インチョン)空港から東京に帰る。もう休みも終わりだからね。」

 ものの7〜8分で、金村駅前のタクシー乗り場に帰りついた。メーターは5,200ウォンくらいだったが、今度もオッチャンは「5,000ウォンでいい」と言ってくれた。握手して、「グッバイ」。彼のおかげで助かった。

 時計を見ると16時39分だった。国鉄京義線の上り列車は、1時間に1本、毎時42分の発車だ。ぼくは駅舎に駆け込み、窓口の駅員に「ソウル!」と叫んだ。

金村駅ホーム
ソウル行きの列車がやってきた。

京義線トンイル号
各駅停車「トンイル号」。約1時間でソウル駅に着いた。


何とかなるなる??――韓国旅行のすすめ

 これでぼくの韓国旅行記は終わりです。

 金村駅からソウル市内に帰った夕方は、東大門(トンデームン)の近くの鐘路で夕立に降られて雑居ビルの入口で雨宿りをしたり、東大門市場に迷い込んで若者向けの洋服の森をさまよったりしました。その翌日は、午前中はソウル市内でお土産など買い込み、午後にソウル駅前からリムジンバスで仁川(インチョン)空港に直行。――仁川国際空港は、海を埋め立てて島を3つつなげる、という無茶苦茶なことをやって広大な土地を作り出したらしく、とにかく、土地がいくらでもある。今ある仁川空港をもう1つか2つ隣に作れるのではないか、というほど、土地がありあまっていました。つくづく、すごい国だと思います。投資するべきところには、思い切って投資しちゃう。どこかの島国とは違いますね。。。

 韓国は初めてだったわけですが、安宿に泊まったり列車に乗ったり、どれもそれほど失敗しなかったので、本当によかったです。…というか、コツがつかめた?かも。今度来るときは、格安航空券だけ用意して来れば、宿は現地で適当に探せば何とかなる、、、ってことがわかってしまったので。

 それに、韓国の人たちは親切です。…というか、ぼくが中国と比較しちゃうのがいけないのかも知れないけれど、外国人であるこちらがつたない韓国語を使おうとしていると、何とか汲み取ろうとしてくれるんですよね(もちろん、いろんな人がいますけど、一般化してしまえば、ね)。中国の人って、もっと突き放すような気がする。。。(^^;

 本文には書きませんでしたが、ソウルの観光案内所などに何か質問しに行くと、こちらが日本人だとわかると係の人は日本語で応対してくれました。懸命に外国語を使ってくれているので、頭が下がってしまいました。

* * *

 また、最後の日の朝、大失敗をしかかったんです。

 ――旅館を出て、ふと気付くと、財布を持っていない。荷物をひっくり返しても、どこにも入っていない。あわてて部屋に戻ると、もう旅館のおばさんが2人で、部屋の掃除を始めるところでした。ぼくが戻ってきて血眼で部屋を引っかき回し始めたので、おばさんたちは「アンタッチ!(触ってないよ!)」と言いながら、心配そうな目で見ていました。

 最初はあまり口に出したくなかったのですが、英語で「財布をなくした」と言ってしまいました。おばさんたちは部屋の中でゴミ箱までひっくり返し、ぼくは廊下でもう一度、荷物の中身を全部ぶちまけて、情けない話ですがほとんど半狂乱に近かったです。(>_<

 すると、部屋の中から、おばさんの、「いご、、、?! (これ?)」という声が聞こえました。おばさんが持っていたのは、間違いなくぼくの財布でした。ベッドの下、ちょうどベッドカヴァーの裾が床にかかるあたりに隠れていたらしく、――ほら、ちょうど転がり落ちたんだよ、きっと! よかったじゃないの! というようなことを、身振りを交えて口々に言われました。おばさん2人に何度も何度もお礼を言って、その旅館を出てきました。

 「財布」という単語をポロッと言ってしまったので、もし悪気のある人だったら、見つけても、、、と思うと、おばさんがいい人で本当によかった。ぼくにとってソウルのイメージは、あのおばさんの笑顔で固まってしまいました。(^^; ぜひもう一度行きたいですね、韓国。



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