とぼとぼ韓国/第6日


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またまた宿探し

 翌、9月27日(金曜日)。朝8時頃起き出した。テレビをつけたら、NHKのBSで、シャルル・デュトワがN響で『火の鳥』を振っていた。なんとなく最後まで聴いてしまってから、部屋を出た。

 1階のフロントに行って、「チェックアウト、プリーズ」と言うと、昨日の日本語をしゃべる中年女性が、「あなた、今日チェックアウトしちゃうの?」と英語で言う。こちらが、――悪いけどこのホテルに泊まり続けるわけにはいかないのよ、経済的な理由で」、と肩をすくめてみせると、フン、なにさ、という感じ。

 …ただ、例の中年男性氏のきびきびとした指示のもと、ちゃんとIBNで支払った44,000ウォンが差し引かれた計算書が出てきた。差し引き75,000ウォン、それをカードで支払う。

* * *

 ところで、今日は、夕方6時に大象旅行社の人と待ち合わせて、帰りの航空券を受け取ることになっている。その待ち合わせ場所を、オリンピック・パークテルに指定していたのだが、ここを引き払ってしまったので、ちょっと困ったことになってきた。

 最悪の場合、こちらからその旅行社のオフィスに出向けばいいんだけど、、、などと思いつつ、オリンピック・パークテルの「ビジネスセンター」で、韓国通信(KT)のテレフォンカードを買って、公衆電話から大象旅行社にダイヤルする。「よぼせよ〜」と出るけれど、こちらが「もしもし」と言えば日本語で応対してくれた。

 「今日、航空券を受け取る予定の、…」と言うと、「ちょと待てください」と、中年男性の声に替わった。おそらく、Eメールでやりとりしていた、C氏だろう。

 「ソウル・オリンピック・パークテルで、ということでしたが、事情があってそのホテルを引き払ってしまったのです」
 「あぁそうですか」
 「それで、今日はこれから市内で宿を探そうと思うので、、、」
 「何時頃、ホテルが決まりますか」 
 「さぁわかりません、ですのでこちらからそちらの会社にお伺いしようかと思うのですが、、、」

 「それでは、ホテルが決まったらこちらに電話してください、4時半に私も約束がありますので、、、」
 「では午後3時頃までにはお電話差し上げます」

 …ということになって、受話器を置いた。今は午前10時前、いくらなんでも、午後3時までにはなんとかなるだろう。

 また「夢村土城(モンチョントソン)」駅から地下鉄に乗る。ピンクのラインの真新しい8号線で「蚕室(チャムシル)」へ行き、グリーンのラインの2号線に乗り換える。2号線は、ちょうど東京の山手線のように、環状運転をしているが、80年代に作られた路線らしく、鋼鉄の無骨な車両である。

 「教大(キョデ)」という駅(教育大学の意味)で降りて、オレンジのラインの3号線に乗り換えた。地図上のラインカラーはオレンジだけど、銀色の車体に窓の周りが青、その下に赤い線が入っていて、なかなか瀟洒な電車だった。狎鴎亭(アプクジョン)から地上に出て、漢江(ハンガン)を渡る。漢江はソウルを東西に流れる広い川で、多摩川の3倍くらいの幅を、ゆったりと流れている。やはり大陸だったのだ、この国は。地下鉄はこの川を渡る前後では地上に出るようだ。昨日の2号線もそうだった。陽光に川面がきらきらと光っている。

 ソウルの中心部に向かうにつれて、だんだん電車が混んできた。また地下に入って、忠武路(チュンムロ)、乙支路3街(ウルジロ・サムガ)などを通って、「鐘路3街(チョンノ・サムガ)」で降りる。

* * *

 ここは、ソウルの中心部のメインストリート、鐘路(チョンノ)の地下で、国鉄のソウル駅から見ると東北2〜3キロ、旧王宮の景福宮(キョンボックン)から見ると東南1キロほどにあたる。『歩き方』には、このあたりにいくつかの旅館が紹介されていたので、このへんに来ればなんとかなるだろう、と思ってやって来たのだった。

 3番出口で地上に上がってみると、そこは、南北の敦化門路という細い道と、鐘路の一本裏の道が交わる交差点だった。道幅が狭く、建て込んでいるので、日本の下町みたいだ。セブンイレブンがあったので、缶コーヒー(800ウォン)と菓子パン(600ウォン)を食べて、道端でしばらくガイドブックを読んでから、探索開始。

 ――『歩き方』に載っている旅館を探したがやはりここでも見つからず、一回りした結果、適当に行き当たりばったりで入ってみることにした。部屋を見て、気にくわなかったら他の旅館にすればいいだけのこと。幸い、やはり温泉マークをいたるところで見かけるので、なんとかなるだろう。

 まず、セブンイレブンの前の角から西に向かって歩き、ちょっと路地に入ったところにある旅館を試してみた。おばさんが出てきた。

 「一泊いくら?」
 「いーまんおーちょのん(2万5,000ウォン)。」
 「部屋見せて」

 廊下が暗く、ちょっと怪しい雰囲気だが、部屋はまぁ、ふつうだった。しかし、慶州で泊まったセボジャン旅館と比べると部屋の広さは半分ほどで、ベッドとテレビ台、入口側にシャワー室、それで終わりという感じだった。

 他の旅館も見てきます、ごめんね、とおばさんに言って、また通りを西に歩く。違う旅館に入ってみると、今度は「一泊3万ウォン」と言う。部屋もまぁ、似たようなもので、階段の手摺りとか廊下の照明とかの内装が、凝っているわりにちょっと安っぽいかな、という程度。

 もう一つの旅館を覗いてみると、玄関先にレンタルヴィデオのパッケージが並んでいて、ぼくは一瞬、いきなりアダルトヴィデオかと思ってぎょっとしたが、ジャッキー・チェンとかのカンフーものがほとんどだった。ここはニヤニヤしたオヤジが出てきて、「平日は一泊3万ウォン、土曜・日曜は4万ウォン」と言う。今日は金曜日で、ぼくはこれから2泊しなければならないから、2泊で7万ウォンかかることになる。この旅館は、部屋も見ずに退散した。

 結局、一番最初に見た旅館が一番よかったことになる。何か恥ずかしいな、と思いながらさっきのところに戻って、「よくし、すっぱっかごしっぽよ、、、(やっぱり泊まりたいです)」と言うと、おばさんは、ぼくの肩を叩きながら、嬉しそうに韓国語で何か言う。ほら、やっぱりうちがいいでしょ、か何か言っているのだろうか。――部屋がいくぶん狭めだれど、それは、如何せんここは首都ソウルだから、、、と思うことにしよう。

ソンボ・モーテル

 旅館の名は、「ソンボ・モーテル」(もしくはソンボ荘)。通りから入った狭い路地に面しているので、正面玄関を写真に撮るような場所もなく、横から斜めにシャッターを切る(この写真、裏側ではないのです)。花輪のようなものが路地に並んでいるのは、どうもこの旅館は最近新装開店したということらしい。建物の作りは安っぽいけれど、まぁいいだろう。安っぽいのが嫌ならオリンピック・パークテルにいればよかったのだから。。。


子供と歩く王宮

 さて、昔の王宮だった「景福宮(キョンボックン)」が、この宿からごく近いところにある。

 骨董品店の通りとして知られる仁寺洞(インサドン)を歩いていく。日本人観光客の集団が、韓国人ガイドの中年女性に、「まっすぐ行ってください、横道に絶対入らないでくださいね」などと言われている。たしかに迷子になられたりすると迷惑なのだろうが、そんな言い方をすると横道に何かすごく危険なものがあるかのような気がしてしまう。そもそも横道を入ったところにある安宿に泊まっているぼくはどうなってしまうのだろう。

衛兵の交替 堂々とした石造りの「光化門」から中に入ると、広大な更地になっていて、朝鮮王朝時代の衛兵の交替を再現していた。これは1時間おきだかにやっているらしく、スピーカーから雅楽と、韓・日・英・中の4か国語の説明が流される。おそらくこの空間が、以前の朝鮮総督府を取り壊した跡なのだと思う。

 700ウォンの入場券を入って、景福宮に入った。しかし、王宮の正殿と言える「勤政殿(クンジョンジョン)」は修復工事中で、建物にまるごとネットがかぶせられていて、何も見えない。

 景福宮は広い敷地内にたくさんの回廊や建物が散らばっている。もちろん王朝時代はもっとたくさんの建物があったのだろうが、小学生の集団が幾組もやって来ていて、芝生の間の順路を騒ぎながら走り回る。空気が乾いているので砂埃が巻き起こってもうもうとなる。いちおう、藁半紙のプリントなど持っていて、説明の立て札を見ながら何か書き込んでいる子もいるけれど、小学生にとっては格好の遊び場だろう。無理もないことだけど、自動販売機でコーラを1本買おうとしても、わらわらとたかっている子供たちが我さきにとコインを入れてしまうので、ぼんやりしているといつまで経ってもコーラが買えなかった。

 小学生の女の子の3人組が、日本人がいると目ざとく気付いたのか、ぼくに向かって、「おげんき、ですかぁ」と言う。岩井俊二の映画、『ラブレター』のつもりなのだと思う。

慶会楼香遠亭
もう、子供でいっぱい香遠亭。もともとはもっと奥まった感じのところだったそうだ。

 香遠亭というあずまやの右手には、「日本帝国による明成皇后殺害」についての絵のようなものと、説明の看板があった。日本では「閔妃暗殺」と呼ばれている、1895年の事件である。ここでも小学生たちがプリントに何か書き込んでいる。その後ろに立って看板を眺めている、帽子をかぶった男も日本人なのだが、彼らは一体どう思っているのだろう。。。

#細かいことを言うと、当時の朝鮮はまだ、清の冊封体制から独立して「大韓帝国」になる前だから、「皇后」っていうのは呼び方がおかしいと思うのだが。まぁ、「王妃のことも皇后(Empress)と呼ぶのです」と言われたらそれまでのことだけど。

明成皇后殺害の看板
載せておきましょう、看板の写真。――よく読むと、韓・英・中の説明文には書いてあって、日本語には書いてない部分があることがわかる。どんな理由や背景があったにせよ、日本人が滅茶苦茶なことをしたということに変わりはない。


C氏との握手、「大丈夫」ではないこと

 敷地内をひとまわりしてから、光化門の前の広場に戻った。国立民俗博物館なんかもあったけれど、入らない。

 広場の左手に国立中央博物館がある。その脇にある公衆電話ボックスから、大象旅行社に電話をかけた。もう時刻は14時を過ぎている。

 件のC氏は留守で、応対に出た女性から、携帯電話のものらしい番号を教えてもらった。相手も、外国語で数字を教えるという、けっこう面倒なことをしているし、電話越しだし、こちらもちょっと緊張して、何度も確認した。

 教えてもらった番号にかけると、C氏が出た。

 「チョンノ・サムガー(鐘路3街)の近くの、『ソンボ・モーテル』というところに宿をとりました」
 「モーテルですか。。。」

 しばし言葉が途切れる。やはり、この手の旅館はあまり薦められないのだろうか??

 「電話番号はわかりますか?」
 「いや、わかりません」
 「そうですか。。。今日のスケジュールはどうですか?」
 「いまキョンボックン(景福宮)にいます、これから中央博物館を見て、このあたりを歩こうと思っているのですが」
 「もっと南の方はどうですか、2号線のヨクサムの駅から10分くらいのところに、ルネッサンスというホテルがあるんですが」
 「ヨクサム。カンナム(江南)の方ですね」
 「ええ、江南駅の隣です。エキ、サンと書く、ヨクサム(驛三)です。歩いて10分くらいの、ルネッサンス・ソウル・ホテルと言います。そこの1階のフロントの前に、椅子がありますから、そこでお会いしましょう」
 「わかりました、驛三のルネッサンス・ホテルですね」
 「時間はどうしますか?」
 「夕方の5時半は如何でしょうか?」
 「はいよろしいです。あなたは、格好はどうですか?」
 「カーキ色のジャケットを着て、黒い帽子をかぶっています」
 「黒い帽子ね、はいわかりました。それではルネッサンスホテルで」
 「よろしくお願いします」

 大象旅行社のオフィスの住所は、「江南区驛三洞」だ。そのホテル、オフィスから近いところで待ち合わせ場所に使っているのだろう。――旧市街の鐘路あたりから江南地区までは少し遠いけれど、うろうろして迷惑をかけているのはこちらなので、異存はなかった。

 それにしても、C氏の日本語は堪能だ。電話で約束を決めるのにも何の不自由もない。…もっとも、こちらとしても、外国の人が日本語を使ってくれていると思うと、なるべくはっきりとわかりやすい発音や文法で話すように気をつける。現地のガイドを相手に、もそもそとした曖昧な母国語を使っている日本人観光客を見ると、なんと不親切な人たち、というか、田舎者だなぁ、とぼくは思うのだが、どうだろうか。

* * *

 国立中央博物館に入って、高麗青磁や朝鮮白磁を眺めてから、まっすぐ南に延びるメイン・ストリートの世宗路(セジョンノ)を歩いた。銀杏並木からギンナンのにおいが漂う、いずこも同じ秋の風情だった。

 大韓航空ビルの免税店を眺めたり、コンビニに寄ったりしながら、ソウル市庁の前まで歩いて、地下鉄に乗る。一駅だけ1号線に乗ってソウル駅、4号線で一気に漢江を越えてサダン(舎堂)、2号線に乗り換えて、17時頃、ヨクサム(驛三)に着いた。市庁駅から45分近くかかった。ソウルは本当に巨大な都市だ。

 ヨクサム駅で地上に上がると、そこは、江南地区を東西に伸びる『テヘラン路』という大通り(ペルシャのテヘランと関係があるのかどうかはよくわからない)と、南北の通りが交わる、大きな交差点だった。きれいなビルが立ち並ぶテヘラン路を東に歩いて行く。江南地区はほとんど真っ平らなのかと思っていたが、意外と起伏があるようで、ゆるい坂を登って、また下りる感じになっていた。

 ファミリーマートでペットボトルのレモンティーとセイラム・ライトを買う。「Salem」は韓国語ではどう発音するのだろうか? 「セイラム」「セイレム」「セイルム」など、いろいろ言って試してみたけれど、どれも通じない。指差して、いやいやそれじゃなくその隣、、、という感じで、やっと買えた。

#帰国してから知ったけど、「セルレム(sellem)」というのが韓国語の発音には近いらしい。。。あと、マイルドセブンは、「マイルドゥセブン(maildeu-sebeun)」と言うと通じるようだ(買わなかったけど)。「フィリップ・モリス」はそのままでも通じた。

 ソウル・ルネッサンス・ホテルは、まぁどこにでもあるような高級ホテルだった。ロビーのソファでは、背広を着た日本人のビジネスマンが、短い脚を組んで偉そうに座っている。

 15分ばかり早く着いたので、本を読みながら時間をつぶしていると、中年男性に声をかけられた。C氏だった。

 「早く着きましたね、地下鉄で来ましたか?」
 「ええ、シーチョン(市庁)から地下鉄で。」
 「地下鉄、だいじょうぶですか?」
 「、、、?? あぁ、はい、迷うこともなかったです」

 お願いしてあった航空券を渡してもらう。明後日、9月29日のJAL956便、仁川から成田までの片道だ。航空券は大象旅行社の封筒に入っていて、中にはちゃんとした領収書と、C氏の名刺が入っていた。

 代金は日本円で29,700円。パスポートと一緒に死守していた(^^;、3万円を出すと、C氏はお釣りを出そうとする。「いいですよ、場所を変えたりして御迷惑をかけたので、、、」と言いかけたが、C氏は、4000ウォンのお釣りをくれた。

 最近は円安が進んでいるので、4000ウォンだと400円余りになる。そもそも、航空券の券面を見ると、代金は28万2,100ウォン、それに空港利用税などが付加されるので、券面の合計金額は30万3,300ウォンになっているのだ。これを3万円マイナス4,000ウォンで売ってくれたわけで、細かい話になるけれど、わりと鷹揚な商売というか、ありがたい話だった。

* * *

 よい機会なので、世間話がてら、C氏に少し尋ねてみることにした。

 「さきほど電話で、ぼくが『モーテルに泊まっています』と言ったら、Cさん、『モーテルですか、、、』っておっしゃったでしょう。やはりああいう旅館とかモーテルというのは危ないんでしょうか?」
 「そうですねぇ、だいじょうぶです、危ないことありません。近頃は日本の人でも、若い人はよくモーテルを使うんですよ。節約できますからね。――そこは一泊いくらですか?」
 「2万5,000ウォンです」
 「どんな部屋ですか?」
 「うーん、ベッドがあって、テレビがあって、シャワーがついていて、、、広くはないけれど、汚いことはないですね」
 「そうですか」

 「…パスポートだけは、持っていてください、預けないで」
 「はい、肌身離さず持っています(^^;」

 ――このアドヴァイスが、モーテルに関するものなのか、旅行一般についてのものなのか、わからない。

 ぼくはふと思いついて、持参してきた『歩き方』を取り出しながら、訊ねてみた。――「明日、オドゥサン・トンイル・チョンマンデー(オドゥ山統一展望台)に行ってみようと思っているのですが。。。」

 「あぁ、あそこね。あそこは、大変ですよ。バスもない、タクシーもない。。。」
 「そうですか。クムチョン(金村)駅からバス、って、、、」

 C氏はぼくの『歩き方』のページをひとしきり読んでから言った。「簡単に行けるように書いてあるけど、とても、大変ですよ。ソウルに住んでる人が、行って、もう大変だったと言っていました。人が住んでないところなんですよ。バスもタクシーも少ない」
 「そうですか。。。」

 「挑戦してみますか?」と、C氏は笑みを向ける。――う〜ん、行くか行かないか、考えてみますね。。。

 ルネッサンス・ホテルを出て、地下鉄のヨクサム駅まで、C氏と世間話をしながら歩いた。「仕事は何ですか?」「今度は友達といっしょにいらっしゃい」等々。。。「ぼくは地下鉄でチョンノ・サムガー(鐘路3街)まで戻ります。」C氏は会社に戻ると言う。

 「地下鉄は、だいじょうぶですね?」「ええ、もう何度も乗りました(^^;」

 ヨクサムの地下道で、C氏と別れた。「何かあったら、なんでも連絡してください」「どうもありがとうございました」

 C氏と握手。…日本にいると、人と握手する機会があまりないので、ついつい力加減がわからず、ギュッとすごい力で握ってしまった。「おお、強いですねえ」とC氏が笑った。ぼくは地下鉄の乗り場への階段を下り、C氏は地下道を歩いて行った。

* * *

 だが、ちっとも「地下鉄はだいじょうぶ」ではなかったのだった。

 グリーンの2号線でキョデ(教大)駅まで来たのはいいものの、乗り換える3号線のホームで、あまり深く考えずにひょいっと乗ってしまった電車は、実は反対方向だったのだ。…乗ってからも、ずっと座って本を読んでいて、ふと気付くと電車は終点に着いて、乗客が全員下りているところだった。

 あらら、やってしまった…、と思いつつ、しかし、こんな場合に一人旅だと気楽である。悪いのは誰のせいでもなく自分の不注意だし、まぁいいか、という感じだ。「スソ(水西)」という駅だった。

 すぐに反対側のホームに降りて引き返そうとしたが、思い直して、改札を出てみた。薄暮の青い空が見える。

 広い道路の交差点に、地下鉄の出口とショッピングセンターがあり、向こうの丘の中腹には高層団地の群れが広がっていた。車が行き交う道路の反対側には、バスを待つ客の列が長く伸びている。地下鉄の終点からさらに郊外に住んでいる通勤者なのだろうか。

 ぐるっとひとまわりしてみると、公団住宅のような団地が広がっていて、団地らしく(?)静かなのだが、ときおり露店のような八百屋が店を出している。ぼくが子供の頃にも、トラックで住宅街に野菜を売りに来る行商人がいたなぁ、なんて思い出した。

 コンビニの『LG25』であんぱんとコーヒー牛乳を買って、地下鉄の出口の前で食べているうちに、すっかり暗くなった。18時40分頃、再び地下鉄に乗る。この駅には自動券売機が見当たらず、窓口で「チョンノ・サムガー」と言って切符を買った。鐘路3街まで、こんどは40分ほどかかった。

* * *

 夜8時頃、再び宿を出た。金曜の夜、だからかどうかは知らないが、宿のある路地の入口あたりは屋台のような食べ物屋がテーブルや椅子を歩道に並べて、たくさんの人が飲み食いしている。これまでにかいだことのないような、煮物か何かの濃いにおいがムッと立ちこめている。

 さすがにそういうところで食事をする勇気はなく、ひとりだし、ファーストフードのお店がないかな、と思いながら、歩いて鐘路に出た。

 道端に新聞売りがいる。この旅行中、一度も新聞を買っていなかったのだが――韓国語の新聞なんて、まなじりを決して解読しなくちゃならないので億劫だった――、どうもだんだん新聞を読みたくなってきた。少し迷った結果、英字紙の「Korea Herald」(600ウォン)を買う。英字新聞だってそんなにすらすら読めるわけではないが、韓国語の新聞よりは理解できる。(^^;

 新聞を小脇に抱えて、鐘路沿いの「ボーゴーキン(バーガーキング)」に入った。「ワッパー」、こちらでは「ウォッポー」と発音する。セットで4600ウォン。物価水準に比べるとちょっと高いんじゃないか、という気もするが、学生の頃に食べた懐かしいワッパーの味だった。

 宿の部屋のテレビでは、NHKワールドが見られた。――“西武が勝ったらしい。ふん。”とぼくのメモには書いてあるが、これは一体どういうことだろうか?(^^;



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