とぼとぼ韓国/第1〜2日


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まずは広島へ

 韓国へ行くのだが、まずは広島行きの夜行バスに乗る。

 下関の港に行って関釜フェリーに乗るのだけれど、東京から新幹線で直行してしまうのはなんだか惜しい。ぼくは国内でも神戸より西に行ったことがない。せっかく韓国に行くのなら下関からフェリーで、せっかく下関に行くのならちょっと寄り道して、…と、だんだん目的地が不明確になっていく感は否めないけれど、広島の原爆ドームと平和記念資料館はぜひ見ておきたい。――というわけで、町田バスセンターから広島行きの夜行バスの切符を買っておいた。

 9月22日(日曜日)の夜、21時ちょうど、横浜駅が始発のこのバスは、町田バスセンターを発車する。広島まで11,700円。車内は満席だった。座席は一人ずつのシートが3列あって、ぼくは右の窓側。座席はかなり深くリクライニングして、いっぱいに倒すとたぶん135度くらいまで倒れるし、レッグレストもついているので、一応ちゃんと眠れそうな設備にはなっているのだが、けっこう中途半端なもので、腰が落ちつかない。ちゃんと座席の背を立てて行儀よく座っていた方がいいような気もしてしまう。どの窓もカーテンが閉められているし、22時50分に消灯されてしまうと、運転席と客席の間もカーテンがかかってしまうので、布地に囲まれた異様な空間になる。

 長距離の夜行高速バスに乗るのは久しぶりだ(高校1年のときに京王八王子から仙台行きの夜行バスに乗ったことがある。その路線はいまでは廃止されてしまった)。――ぼくがこれまでよく使ってきた夜行列車と比べると、やはり高速バスのほうがいいように思う。深夜に停車して人が出入りすることがないし、停車や発車のときの衝撃も列車より少ない。実際、消灯後もしばらくはCDを聴きながらぼんやりしていたが、毛布にくるまっていつの間にか寝てしまい、目覚めると山陽自動車道のどこかを走っていた。7時間近く眠っていたことになる。

* * *

 この夜行バスは、福山や西条などの広島県内で何か所か停まっては客を降ろし、広島市内に入ると、まず「広島バスセンター」というところに停車し、ほとんどの乗客を降ろしてから終点の「広島駅新幹線口」に着いた。ぼくは広島という街について何も知らず、とりあえず駅まで行けば街の中心なんじゃないの? と思って「広島駅新幹線口」までの切符を買っていたのだが、「バスセンター」の方が繁華街には近かったようだ。直前まで寝ぼけてぼんやりしていて、終点に降りたのは朝7時40分頃だった。

 着いてみると、広島駅は広島の街の北側にあって、「新幹線口」というのはそのまた北口にあたるのだった。とりあえず煙草を吸ってぼんやりしてから、キオスクで簡単なガイドブックを買い、地下通路を歩いて南側の駅前広場に出る。みどりの窓口で下関までの乗車券と新幹線の特急券も買っておいた。

 コインロッカーに荷物を入れて、広島の街歩きを開始。この街での滞在時間は6時間余りの予定だ。


平和記念公園

 広島駅の南側には、駅前広場に市内電車が乗り入れている。路面電車なんて日本ではもうほとんど見られなくなったものだけど、広島では今でもたくさん走っているようだ。しかも市内は均一運賃の150円。便利だなぁ。

 郊外の宮島口まで行く2系統という電車に乗ると、「原爆ドーム前」という停留所で降りることができる。原爆ドームはすぐそこだった。青空の下、公園の緑が映えている。

原爆ドーム 原爆ドームって、こんなに小さいんだ。。。というのがまず抱いた感想だった。柵に囲われたその小さな廃墟からは、なにかの動物の剥製のような、弱々しい印象を受けた。しかし、当時としては巨大な、立派な建物だったのだろう。

 陽射しが照りつける平和記念公園を歩いて、つい最近できたらしい「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」と、広島平和記念資料館を見る。国立の施設のほうは、半地下になっている静かな空間で、訪れる人も少なかった。鬼気迫る展示があるのは、平和記念資料館の方。

平和記念公園
「あやまちは繰り返しませぬから」

 ひととおり見て、噴水の前のベンチで休む。まだ午前10時。ジャケットを着ていると暑くて、眠ってしまいそうなくらいにおだやかな夏の陽射しだった。


広島うろうろ歩き

 平和記念公園の南側を走っている「平和大通り」という道を東にたどり、繁華街の紙屋町の方向に左折、「本通」というアーケード街にロッテリアを見つけて食事。その後、京橋川を渡って比治山の現代美術館の方に登り、でも美術館には入らずまた山を下り、いったん駅前大通りに出てから、広島城の北側まで歩いた。目的地不明の感があるけれど、知らない街をふらふらと歩くのが好きなので、それはそれでよい(苦笑)。

 駅前から広島城の方向に歩く途中、広島女学院っていう学校があって、マンドリン業界関係者としてはどうもどこかで聞いたことのある名前なんだけど(^^; 戦前からの伝統のある学校らしい。道路を挟んで両側にいくつもの建物が並ぶ、大学キャンパスみたいな中学・高校だった。

市内電車 白島(はくしま)という終点から市内電車に乗って、八丁堀で乗り換えて、広島駅まで戻る。日もずいぶん高くなって、そろそろ潮時だ。風も強くなってきた。

 休日に、狭い範囲をほんのちょっとうろうろしただけだけど、広島って何だかいい街ですね。川が何本も流れていて、緑も多くて、空気がのんびりしている。でもバスも市電も本数が多いし、繁華街に行けば何の不便もなさそう。


遠くへ来たもんだ

 広島駅14時36分発の山陽新幹線『こだま625号』に乗る。新幹線もこのへんまで来ると、『こだま』がたったの4両で走っているのか…。

 広島の市街を抜けるとすぐに農村地帯になる。山の中をトンネルで突っ切っていくので、ほとんど海は見えない。徳山では左窓(海側)に巨大なコンビナートが見える。小郡、厚狭なんかにひとつずつ停まって行く。

 人気の少ない駅のホームを眺めながら、…ついに山口県くんだりまで来てしまったのか、などと、ぼんやり思う。――なんて、こちらの土地の人が聞いたら怒るかも知れないけれど、東京で育ったぼくにとって、まさに、地図でしか知らない場所。そして、これから向かうのは本州の果て、下関。そこから韓国行きのフェリーに乗って、言葉の通じない国に一人で行こうとしているのだ。本当に大丈夫なのだろうか、、、と、今さらながらに不安が頭をもたげてくる。『こだま』号は一駅ごとに乗客が減っていき、長いトンネルをごうごうと走り抜けていく。

 16時03分、新下関駅で新幹線を降りて、在来線に乗り換えた。在来線の鈍行列車は、JR九州の車両だった。この先は九州か。――2駅で下関駅に着く。


下関港国際ターミナル

下関港国際ターミナル 下関駅で降りてみると、駅前には広い歩行者デッキがあって、歩道橋が遠くまで延びている。それをたどっていくと、フェリーターミナルまで延々とつながっていた。とりあえず乗船手続きをしなくては、と、西日を浴びながら歩道橋を急ぐ。

 しかし、ぼくの他にフェリーターミナルへ向かう人は誰もいない。ターミナルの建物は、ガラス張りのきれいなビルだったが、遠くに見えるそこへ一人で近づいて行くと、なんだか薄ら寒い気分になってくる。

 中に入ってみると、右手にすぐ乗船口のゲート、左手の壁の向こう側に乗船手続きのカウンターがあった。20人ほどが、すでに椅子に座って待っていた。交通公社で購入したクーポン券を出して乗船手続きを済ませ、韓国への入出国カードや申告書を渡されると、もうすることがない。

下関港国際ターミナル・ロビー ぼくの持っていたクーポン券には「乗船3時間前までに出国手続きを済ませてください」とあった。しかし出港は19時00分、現時点ですでに16時半を過ぎている。だがこれは、時刻表に書いてある「2時間前」が正しいらしい、ということを品川の交通公社で確認していたので、この時刻に下関港に現れたわけだが、出国審査なんてやっている気配がない。周りの人に聞いてみると、出国審査は18時から始まるらしい。そして、窓口には「18時20分に出国審査は終わります」と書いてある。何なんだかよくわからない。夏休みなどのシーズンに、大量の乗船客が時間ぎりぎりに押し寄せると困るから、そういうようなことを書いているのだろうか。

 やることがないので、出国する前に買い物をしたい。さっき駅前にダイエーがあった。しかし、大きい荷物が邪魔だ。コインロッカーも見当たらない(今にして思うと、よく探せば階下にでもあったのかも知れないが)。一人旅だと、こういうときに大変不便である。結局、大きなバッグを抱えたまま、ダイエーの食料品売り場を歩き回り、パンや水、煙草を買い込んできた。


関釜フェリーの夜、携帯電話の死

 17時50分、乗船口のゲートが開いた。周りの乗船客は、おそらく日本人と韓国人が半々くらい。西洋人の若い女性と、若い男性もいる。2人とも、一人旅だ。

 出国審査場では、パスポートに「KANMON」のスタンプを押されて、いよいよ船に乗り込む。日本船籍の『はまゆう』という船だ。

 ぼくの乗船券に指定された船室は、「102」。左舷側だった。入ってみると、二等だから大部屋なのはわかっているのだが、…男女別にすらなっていないんだね。びっくりした。ユースホステルだって男女同室ってことはないのに。

 人数分のマットと布団が積んで置いてあって、ぼくは部屋の角のスペースを確保した。とっとと布団を敷いてしまう。他の乗客といっしょになって、マットを広げ、シーツを敷くが、シーツの大きさが足りないぞ。。。

 どうもツアー客もいるらしく、日本人のオッサンが、「飛行機ならこんなことせんでええのによぉ」なんてこぼしながらシーツを広げている。うるさい、文句たれるな(苦笑)

 ひととおり、乗船客が自分のスペースを確保してしまうと、これまた、何もすることがなくなってしまった。別のおじさんが、「風呂に入ってきなよ。この船は何をするにも早い者勝ちだよ。寝るのも、すごいイビキかく人いるし、早く寝ちゃうのが利口。」とぼくに話しかけてくる。そうですねぇ、ひとっ風呂浴びましょうか。

 財布やカメラ、パスポートなどの貴重品を一括してボストンバッグに入れて、フロントデスクに預けてから、風呂に入りに行く。特に広くもない、なんの変哲もない共同浴場で、やはり早めに行ったのがよかったのだろう、先客は2人しかいなかった。でも、腕に入れ墨のある兄ちゃんが隣で身体を洗っていたりする。たぶん韓国人だと思う。

 大部屋に戻る。ひととおり埋まったはずだが、乗客は部屋の定員の3分の2くらいだった。これで満員だったら、かなりキツい一晩になっただろう。ぼくのスペースの隣も一人分空いているし、まぁよかった。乗客の主体はオッサンと若い男女、別の部屋を覗くと韓国オバサンが多い。要するに、急がない旅行者たち。当たり前だが、背広を着ている人なんて二等船室には一人もいない。早々とモモヒキ姿の爺もいる。

 そろそろ出港かな、と思いながらロビーで新聞を読んでいると、フロントで女性のパーサーが芝居がかった銅鑼を打ち鳴らした。ふと気付くと、船は動き出していた。

* * *

遠ざかる日本の灯 ぼくはこれまで、船なんて東京湾フェリーくらいしか乗ったことがない。外航船舶に乗るのは初めてだ。デッキに出てみる。夜の関門海峡の灯りが遠くなっていき、ゆらゆらと揺れるようになってきた。だんだん外海に出てきたようだ。携帯電話が使えるうちに、自宅に電話をしておく。

 食堂で『はまゆう うどん/そば定食』500円を食べる。一番安いメニューだったのでこれを選んだのだが、うどんと握り飯2つ、そしてお新香が出てきた。握り飯は少しかじって食べ残す。食堂自体はまともなのだが、日本人のオッサン集団が酔って韓国人の若いウェイトレスをからかったりして、どうも雰囲気があまりよろしくない。一人旅らしい日本人の若い男性もいる。

 この船、ゲームコーナーやカラオケなんかもあるらしく、豪華客船とまでは言えないが、そこそこの設備はある。ただ、問題は客層なんだろうな。仕方ないだろうけれど。

 ロビーでは、NHKを映していたテレビが、いつのまにか韓国のKBSに変わっている。――釜山に着くのは明日の朝8時。それまで、本当にすることがない。やはり、あのおじさんの言うとおり、早く寝てしまった方が勝ちなのかもしれない。

 またデッキに出て、何人かに携帯電話のメールを打つ。出港して1時間半余り過ぎて、そろそろ電波が不安定になってきた。船室に戻っても、枕元に本を広げながら、携帯の電波が気になる。――考えてもみれば、一昔前は誰も携帯電話なんて持っていなかったではないか。それなのに何故いま、携帯電話が使えなくなることがこんなに不安なのだ。「圏外」表示になったり、またアンテナのアイコンが立ったりする携帯の画面を睨みながら、自分を叱咤する。いい加減にしよう、と決心して、本のページに目を落とす。だが、ついに「圏外」表示が動かなくなった。21時12分だった。ぼくはその時刻を手帳に書き留めた。



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