とぼとぼ韓国/第3日


▲Korea Top Page
<Previous Page―――3―――Next Page>


釜山上陸

 暗い海にたくさんの漁り火を見たような気がする。…目覚めると、すでに空は明るく、船は停まっていた。陸地が見える。韓国だ。

 釜山(プサン)は巨大な港だった。貨物の施設で海岸は埋め尽くされている。その向こうにビル群、背後に山が迫っていた。港町ってたいがい、山が近いんだな。横須賀も横浜も函館もそうだ。遠浅の海岸なんかではなく、山裾がストンと海に没するからこそ良港になるのだろう。

 6時半頃、レストランの朝食は8時まで、という放送があったが、とくに空腹は感じないので、食事は上陸してからにしよう、と思った。ロビーで韓国のテレビを眺めながら、接岸を待つ。しばらくすると船は動き始めた。時刻表では釜山到着は8時半となっているが、実際の航海にまるまる一晩かかるわけではなく、夜が明けないうちからもう港外に停泊していて、たぶん港湾施設の業務開始に合わせて接岸するのではないかと思う。

釜山港 博多からのカメリアラインのフェリーも近づいてきた。

 ロビーの下船口に行列ができ始めた。昨晩、下関で見かけた西洋人のうち、若い男性は一等船室のデッキからのエレヴェータを降りてきた。若い女性のほうは、実はぼくの隣の二等船室だったが、昨晩は遅くまで、ロビーでずっと韓国人の初老の男性に英語で話し込まれていた。彼女は英語のペーパーバックを持っていて、おそらくそれを読みたがっているのだが、もう際限なく話し込まれていて、しかしこんな東洋の国際フェリーに乗って一人旅をするような女性だから、そういうのには慣れているのだろうか。

* * *

 ぼくの前には日本人の若いカップルが並んでいたが、見ると、『日韓共同きっぷ』を持っている。これは、日本の新幹線と関釜フェリー、そして韓国の「セマウル号」の乗車券がセットになったもので、JRと韓国鉄道庁が共同で出している切符だ。ぼくは今回、これを使おうかとも思ったけれど、よくよく調べてみると使える列車などにいろいろ制約があって、自由が効かないのでやめたのだが、これを持っているということは、おそらく釜山駅から『セマウル号』に乗るのだろう。

 実は、この旅行を前に、気になっていることがあった。8月の末に台風が韓国を襲って、釜山ーソウルの国鉄・京釜(キョンブ)線の鉄橋が1か所、落ちてしまい、列車の運転本数が半分以下になっている、という話を聞いたからだ。その後1か月近く経ったが、どう復旧したのか、情報を集める暇がないまま、東京を出てきてしまったのだ。

 彼らに「国鉄はちゃんと動いてますかね?」と訊ねてみると、――は?そんなことがあったんですか? という感じ。大阪から来たとのこと。

* * *

 8時をまわって、ついに下船口が開いた。団体様を先に通してから、ぞろぞろと上陸する。携帯電話で楽しそうに話しているのは皆、韓国人。ぼくの携帯電話はもうとっくに死んでしまっているので、かばんの奥底に放り込む。

 先ほどのカップルの女性の方と話しながら――お二人でソウルに長期の留学に行かれるそうだ――、入国審査の列に並ぶ。ここでは自分たちは“外国人”の列だ。しかし、入国審査はごく簡単なもので、税関に至ってはほとんどフリーパスだった。

 税関を出てすぐのところにあった『釜山銀行』の窓口で、とりあえず2万円を両替する。19万4400ウォンになった。…19万!! 財布が札束でふくらむ。緑がかった一万ウォンも、赤っぽい千ウォンも、どれも新札ばかりだった。

 ターミナルの出口の前で、とりあえず煙草を吸う。まだ朝の8時半だが、じりじりと陽射しが照りつける。名前を書いた紙をかざして出迎えてくれるような人は、当たり前だがぼくにはいない。日本語で「たくしー。」と近寄ってくるオバサンがいるが、ここは一応、勝手知った風を装って、「あにょ!」と拒否する。…“何気なく”振る舞うには、煙草は必須アイテム。これから先、かなりの量の煙草が必要になりそうだ。漠然と、前途多難な予感。


すぐに次の街へ

 港のターミナルから伸びる道を、とぼとぼと歩く。昨夜の船室で「風呂に入ってきなよ、早い者勝ちだよ」と言ってくれたあのおじさんも一人で歩いていて、――あ、どうも、ってなもんで、並んで歩き始めた。おじさんはこれからバスターミナルに直行して、高速バスでソウルへ行くと言う。

 釜山の長距離バスターミナルは、市街地から遠く北に外れた、老圃洞(ノポドン)というところにあって、中心部からだと、南北に走る地下鉄の北の終点になる。ぼくも今日はそこから慶州(キョンジュ)に行く予定だ。フェリーターミナルから市内の大通りに出ると、すぐに地下鉄の中央洞(チュンアンドン)という駅がある。

 おじさんは韓国には何度も来ているようで、ぼくがこれから慶州(キョンジュ)に行くと言うと、――慶州か。…農協の大きなスーパーがあったなぁ。」なんて言う。まるで慶州の大きな特徴が農協のスーパーにあるかのような言い方である。でももちろん、「天馬旅行社という現地の会社が市内ツアーのバスを出してるから、それに乗るとひととおり廻るのに便利だよ。」というようなことも教えてくれた。

 地下鉄の階段を下りると、おじさんはぼくが切符を買うのを待っている。なんと、おじさんは釜山の地下鉄のカードを持っているようだ。

 しかしぼくは、旅程を立てた時点で釜山を素通りすることに決めてはいたものの、初めての韓国でもあるし、慶州へ直行してしまうのは惜しい。朝食を取っていないので、小腹も空いている。なので、――釜山駅のあたりで何かごはんを食べようと思います、釜山を素通りしてしまうのも何なので、、、と言うと、「釜山駅までなら地下鉄乗らなくても、どうせ一駅なんだから、見物がてら歩いたら?」。どうもありがとうございました、と言って、おじさんと別れた。

* * *

 また地上に出て、北の方向へ、大通りを歩く。ビルの看板にも道路の方向表示にもハングル文字が踊っていて、ついに韓国に来てしまった、という感じがしてきた。――しかし、そんなハングル文字の洪水も、よくよく解読してみれば、『チュンブキョンチャルソ』は『中部警察署』だし、『ウンヘン』は『銀行』だし、すべてがハングル表記になっているだけで、街の内容(?)は日本と大して変わらないのだ。ただし、道路は右側通行だから、道を渡るときなどは、まず左を見なければならない。

 『釜山驛→』という案内に従って道を右折すると、さきほどのフェリーで会ったカップルが、重そうなスーツケースを引き引き、歩いていた。歩道は段差だらけなので、大変そうだ。釜山駅はこっちのはずなのだが、どうもさびれた裏町になってきたので、「本当にこっちなんですかねぇ」なんて言いながら、彼らといっしょに歩く。彼らは釜山駅を10時前に出るセマウル号に乗るそうだ。しかし、こんなに重い荷物があるのに港からタクシーも使わないなんて、見上げたものだ。

釜山駅前のロッテリア。日本とまったく変わらない雰囲気。 駅前広場で彼らと別れて、大通りの反対側にあるロッテリアに入った。クラブバーガーとホットコーヒーで、3600ウォン(375円)。ハンバーガー類はだいたい二千数百ウォン(二百数十円)なので、日本とあまり変わらないかな。本当はアイスコーヒーが飲みたかったのだが、アイスはないと言う。この後も、「アイスコーヒーはない」と言われることが何度かあった。この国の人はあまり冷たいコーヒーを飲まないのだろうか。

 地下鉄で西面(ソミョン)へ行く。ここは広いロータリーで、ロッテデパートがあったりして、繁華街のようだ。ロッテデパートと直結した広い地下街があって、しかしぼくは何か買い物するわけでもなく、とりあえずトイレに入ったり(苦笑)。地上に出て裏道をちょっと歩いてみると、金木犀の香りがする。屋台で焼き栗を売っている。釜山も秋なのだ。

 ファミリーマートで使い捨てのひげそり(400ウォン=42円)を買って――旅支度をしたときに忘れていたのだ――、特になすこともなく、再び地下鉄に乗り、老圃洞へ。地下鉄は、さっきの釜山駅ー西面が600ウォン(63円)、西面ー老圃洞が700ウォン(73円)。駅や車内の雰囲気も、日本と似たようなものだ。地下鉄は温泉で有名な東莱(トンネ)のあたりから地上に出て、高架鉄道になる。途中、『九瑞』という駅があった。発音は「クソ」。クソ駅…。(^^;

* * *

 終点の老圃洞(ノポドン)で電車を降りると、改札口が『釜山総合バスターミナル(プサン・ジョンハプ・ボストミノル)』に直結している。

 韓国は長距離バス網が発達していて、たいへんな本数が都市間を結んでいる。韓国の長距離バスには、「高速バス」と「市外バス」の二種類があって、ここではその両方が発着することから『総合ターミナル』ということらしい。

#釜山から慶州までは、列車もあるのだが、どうもローカル線らしくて、1日に7本しかない。急行のムグンファ号が1本だけ、それも2時間かかるし、その他は各駅停車のトンイル号で3時間近くかかる。バスなら頻発してるし、所要時間はたった1時間。これでは、鉄道派のぼくでもバスを選ぶ。

 切符売り場は、高速バス用と市外バス用に大きく分けられていて、さらにそれぞれの中で窓口が行き先別になっていた。高速バス用の方は行き先の都市名にローマ字表記があったり、発車時間が電光掲示されていたりするが、市外バス用の方はすべてハングル表記。市外バスの窓口に行って、「キョンジュ!」と言うと、すぐに切符が出てきた。3600ウォン(375円)。慶州までは1時間かかるはずだが、それで3600ウォンとは格安だ。

 改めて窓口の上に掲示された時間表を見ると、慶州行きはいちいち時刻が書いてなく、「8分間隔」とある。8分間隔!!

釜山総合バスターミナル 階段を下りると、行き先別のバスの乗り場がずらっと並んでいて、壮観だった。バスの切符には乗り場の番号が「26」と書いてあったので、乗り場もすぐにわかった。コンビニの『LG25』で缶コーヒーを買って、飲みながら、ちょっと時間をつぶしてみる。慶州行きは「8分間隔」とは言いつつも、どうも適当に客が集まったら発車するようだ。11時50分頃から2本見送って、「慶州・浦項」というハングル表示の札を出したバスに乗り込む。発車したのは12時23分だった。

 乗客はぼく以外はみんな韓国人らしかった。満員というほどではなく、ぼくの隣の席に座ってくる人はいない。――バスターミナルを出てすぐに高速道路に入るのかと思ったら、バスはさっきの地下鉄と並行して南に、釜山の市街地の方向に向かっている。ん? と訝っていると、さっきの『九瑞(クソ)』に高速道路のインターチェンジ(クソインター)があって、そこから入った。だったらなんで北のはずれの老圃洞なんかにバスターミナルを作ったのか。

* * *

 バスは高速道路にはいると、もう無茶苦茶に飛ばし始めた。普通乗用車を軽々と追い越していくのだから、ちょっとすごい。道路脇のキロポストの数字と腕時計の秒針を見比べて、計算してみたら、時速110キロ以上出している。

 日本の高速道路のような防音壁はほとんどない。車窓は農村地帯で、金色の稲穂が揺れている。のどかな風景なのだが、韓国入国1日目にして高速をぶっ飛ばすバスに乗っているので、ちょっと緊張して、シートベルトもしっかり締めた。…しかし、車内はごく普通の長距離バスで、冷房も入っているし、シートもちゃんとリクライニングする。

 慶州のインターチェンジで一般道に降りる。料金所のブースに「新羅千年の古都、慶州です」という意味の韓国語と、「慶州に來たのをかんげいします」という日本語が書いてあった。13時26分、『慶州市外バスターミナル』に到着。時刻表の市外バスのページによると、釜山ー慶州間は、84キロ。それが1時間、375円なのだから、本当に手軽だ。


まずは宿探し

 慶州は、日本史で出てきた「新羅」(こちらの発音ではシルラ)が紀元前に建国されてから西暦935年に滅亡するまで、千年近くの間、都だったところだ。韓国ではソウル、釜山に次ぐ観光地なのだが、今では人口20万足らずの地方都市である。――『慶州市外バスターミナル』は、町はずれの兄山江(ヒョンサンガン)という川の近くにある、バスの車庫のようなところだった。

 さて、とりあえずは宿を探さなければならない。

 韓国の「旅館(ヨグヮン)」については、『地球の歩き方』やネット上の旅行記などで、いろいろ情報を仕入れてきた。とりあえず、街には必ず、旅館がいくつも集まった一角があって、一泊2〜3万ウォンで泊まれるらしい。『パークジャン(荘)旅館』というところに目星をつけて、バスターミナルから歩き出した。

 しかし、裏道に入って30分近く歩き回っても、『パークジャン』は見つからない。外国人が多いユースホステル風のところだという『韓進荘(ハンジン・ジャン)』や、中級ホテルの『慶州パーク観光ホテル』はすぐに見つかったのだが、『歩き方』の地図に載っている、『パークジャン』のあるべきところに、そんなものはない。

 韓国の旅館というのは、温泉のマーク(湯気が3本立っている、あれ)が必ず出ているし、看板のハングル文字だって読めないわけではないので、何故見つからないのかわからない。…午後の陽射しが暑くて、歩き回っているうちにだんだん疲れてきた。

 結局、『セボジャン』というところに入ってみることにした。ここも一応、『歩き方』に載っている。

セボ荘モーテル ガラスのドアは黒く目隠しされていて、怪しげな雰囲気だが、これまで歩き回ってみた結果、この国ではどこもそんな感じらしい、というのがわかってきたし、『歩き方』に載っているのだからやばいことにはならないだろう、、、とこんな時だけ『歩き方』を信用して、ドアを押し開けた。

 入ってみると中は薄暗く、フロント(?)も駅の窓口のような小さなガラス戸だ。しかし、「よぼせよ〜、あんにょんはせよ〜」と声を掛けてみると、おばさん2名が現れた。

 「すっぱっかごしっぷんでよ、ぱんいっそよ?」(泊まりたいんですけど、部屋ありますか?)と訊いてみる。「ア?」とか聞き返されたが、何とか意味は通じて、――部屋? あるある。という感じ。

 「いるばく、おるまえよ?」(一泊いくら?)と訊くと、「さんまのん」…3万ウォンだと言う。『歩き方』に書いてあるのと同じである。

 「ぱん、ぽごしっぷんでよ、、、」(部屋を見たいんだけど)と言うと、――こっちこっち、という感じで、2階に連れて行かれた。部屋のドアを開けると、ダブルベッドとテレビ、シャワー、トイレがあって、まあ小ぎれいだが、小さな窓に赤いフィルムが貼ってあって、部屋の中がピンクっぽい。

 …やっぱりちょっと怪しいのかなぁ、う〜ん、と思っていると、おばさんが、「みょっちる…」ナントカカントカ、と言う。何日泊まるのか、と言っているのだ。指を2本立てて、「2日!」、と伝えると、「ワンデイ、さんまのん。トゥーデイ、おーまのん(5万ウォン)。」2日で5万ウォン(約5000円)か。格安だ。

 シャワーしかないのがちょっと不満だったので、韓国語・英語を交えて、「風呂はないのか、シャワーだけなのか?」と言ってみると、3階の一番奥の角部屋に案内された。そちらはもうちょっと明るい感じの部屋で、浴槽もあるし、申し分ない。こちらも同じく、2日で5万ウォンだと言う。鍵もちゃんとかかることを確認して、決めた。「ねー、ちょあよ。」(はい、いいです)と言うと、おばさんは嬉しそうに、部屋に荷物置いてけ、という身振りをして、いっしょにフロントに戻り、ぼくは2日分の5万ウォンを前払いした。おばさんは、鍵と使い捨ての歯ブラシ2本、そして「てれびの、りもこん。」と言ってリモコンを手渡してくれた。

セボ荘モーテルの部屋、1泊25000ウォン也 カーテンがピンク色なのが気になるが、お湯もちゃんと出るし、部屋の広さは6畳くらい。まともな部屋だ。とりあえず旅装を解き、テレビをつけ、煙草を吸い、シャワーを浴びた。宿が無事に取れて、まずは喜ばしい。…一瞬、2日分を前払いしたのはまずかったかな、1泊してみて何か問題があったら、、、との考えも去来したが、まぁ、何か起きたらその時に考えよう。


新羅千年古都慶州

 さて、時刻は午後3時過ぎ。慶州はそれほど広い街ではないので、今からでも、夜までには市街地の見どころは廻れるだろう。貴重品を一括してボストンバッグ(ミスタードーナッツのポイントカードを集めてもらったもの^^;)に詰めて、部屋の鍵も持って、宿を出た。不用意に預けたりはしないほうがよさそうだ。――このボストンバッグ、3月に北京に行った経験から、バックパックよりも安心かな、と思って持ってきたものだ。

 市外・高速の両バスターミナルがある交差点から東へ、「太宗路(テジョンノ)」という道を20分ほど歩くと国鉄の慶州駅があり、この距離がだいたい慶州の市街地の東西の範囲になる。コンビニ『LG25』で買った、スターバックスのロゴの入った瓶のコーヒー牛乳(日本では売ってないなぁ、こういうのは。しかも3000ウォンもした。高い!)を飲みながら、駅へ歩く。――なるほど、たしかにあのおじさんの言ったとおり、途中の交差点に、『慶州農協(キョンジュ・ノンヒョプ)ハナロマート』というスーパーマーケットがある。

* * *

慶州駅 慶州駅は平屋の、趣のある建物だった。窓口で、明後日のソウル行き特急『セマウル号』の切符を買う。「26日、10時29分、セマウル、ソウルまで、1枚…」と、メモを読み上げながら一生懸命に韓国語で言ったが、そのメモを窓口氏に持って行かれたので、これでは韓国語をしゃべったことにならない(苦笑)。

 慶州ーソウルを直通するセマウル号は1日に4本しかなく、人気があって切符がとりづらいという話を聞いてきたので、大丈夫かなぁ、と思っていたのだが、無事に切符が打ち出されてきた。26,000ウォン(2709円)。時刻表に掲載されている運賃より安い。平日は割引運賃のようだ。

* * *

 まず、『大陵苑(テーヌンウォン)』へ。街中にある古墳公園である。新羅の古墳は円墳らしく、きれいに丸い古墳が、公園に点在していた。日本人観光客もいるが、韓国人の若者の集団もいる。いったいどういうグループなのだろう?

大陵苑天馬塚
わりとシュールな光景と言えなくもない。中に入れる『天馬塚(チョンマチョン)』。中には、金の冠や、『天馬図』などの出土品が展示されているが、ここで見られるのは模造品のようだ。

 『天馬塚』の前では、「王様の衣装、貸与します。記念撮影…」云々、という日本語の看板が出ていて、オッサンが露店に座っている。「貸与します」って言われてもねぇ。まさに「王様は裸だ!」という感じ。

膽星台 公園の南側に出ると、さらに公園のような広い草原がある。右の写真は、『膽星台(チョムソンデ)』という、古代の天文台とされるもの。奇妙な物体で、東洋的と言うよりはメソポタミア文明みたいな雰囲気がある。

 観光馬車なんかもいるが、ひたすら歩く。造成中のお花畑?みたいな、おばさんがたくさん働いている間をとぼとぼと歩いて行き、『半月城(パンウォルソン)』という小高い山に登る。しかし、大昔にここに山城がありました、というだけの、何もない野原だった。

 ――慶州は、「街全体が屋根のない博物館」なんて言われることがあるが、博物館と言うよりは「遺跡公園」であって、見どころはほとんど、「昔そういうものがあった場所」なのだ。幹線道路に出て少し歩いたところに『雁鴨池(アナプチ)』というところがあって、池を中心に庭園が広がっているが、建物は後世に復元されたもので、要するに“夢の跡”というわけだ。

 しかし、ではつまらなかったのか、と言うと、そうでもない。観光客がほとんどいなくて、夕暮れ時が近かったこともあり、気怠い雰囲気で、のんびり散歩できた。会社を休んでこんなところまで来てしまって、いいのかなぁ、などと思いながら、でもそんなことを考えられるのも、余裕のうちである。

雁鴨池夕暮れ
静かな雁鴨池。古墳公園の向こうに、入り日が薄れていく。

 雁鴨池まで行けば、国立慶州博物館がすぐそこなのだが、もう時間も遅いので、またとぼとぼと歩いて、市街地に戻る。夜7時半頃、太宗路の交差点の公衆電話から、自宅に電話をかける。交通量の多い大通りなのだが、目の前には古墳が、暗闇にぼーっと浮かんでいる。ヘンな街である。

 この日はずいぶん歩き回ったので、疲れた。例の『慶州農協ハナロマート』で、パンやジュース、デザートを買い込んで、旅館の部屋で食べて、寝てしまう。



▲Korea Top Page
<Previous Page―――3―――Next Page>

inserted by FC2 system