とぼとぼ韓国/第5日


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特急セマウル号

 9月26日(木)。今日は列車でソウルへ向かう。

 列車の時刻は10時29分。旅館から駅までは歩いて20分くらいだが、1時間くらい前に出発した。フロント(?)の小窓に鍵を返そうと覗き込むと、中では変なオッサンが毛布にくるまって寝ていた。「かむさはむにだ〜」と声をかけると、眠そうにこちらを見て、また、寝る。よくわからない旅館だが、まずまずの部屋で2晩とも静かに眠れたから、まぁ、よかった。

* * *

 韓国の列車には、速い方から、『セマウル号』、『ムグンファ号』、『トンイル号』の3種類がある。この3つを、便宜的に「特急」「急行」「各駅停車」と呼ぶこともできるが、最近は『トンイル号』の本数が極端に少なく、時刻表を見る限りでは、都市近郊の短距離列車を除いてはほとんど走っていないようだ。

 『セマウル号』『ムグンファ号』は全車指定席らしい。ちなみに、『セマウル』とは“新しい村”の意味で朴正煕大統領時代の農村近代化運動の名前、『ムグンファ』は韓国の国花“むくげ(無窮花)”、『トンイル』とは“統一”のこと。

 列車ごとに改札口が開くようになっているので、ホームには自由に入れない。浦項(ポハン)の方向からトンイル号が着いて、降りた客が地下道を通って改札に出てくる。

慶州駅ホーム
慶州駅のホームをのぞき込む。向こうのホームにトンイル号が到着したところなんだけど、これではよくわからないなぁ。

 今日、ぼくが乗るのは、『セマウル号』第72列車、慶州駅は10時29分発。これは東南部の工業地帯で知られる蔚山(ウルサン)からソウルへ向かう列車だ。15分前から改札が始まり、ホームに上がってしばらく待つ。傍らのおっさんから、「そうる・いちょにちょ?」と訊ねられたが、意味が分からず困っていると、あぁ外国人か、という感じで、おっさんは駅員に同じ言葉を繰り返した。「いちょにちょ」ってなんだろう?

 緑色の大きな列車がやって来た。ホームが低くて、線路との高さの差が20センチくらい?しかないので、本当に巨大な列車に見える。ステップを登って、車内に入った。

セマウル号乗車券 ぼくの指定席は、8号車18番。…このセマウル号は8両編成で、8号車はいちばん後ろの車両、しかも18番というのはその中でも最も後ろの列の通路側だった。本当に末端の席で、券を買えたのはもしかしたら幸運だったのかも知れない。定刻に発車した。衝撃はほとんどなく、滑るように動き出した。

 『セマウル号』は電車ではなくディーゼル列車で、固定編成の最前部と最後尾の車両のそれぞれ半分がエンジン部分になっている。そんな機械室のすぐそばの座席だったから、もしかしたら騒音がすごいかも、と思ったが、走り出してみると、そうでもなかった。車内は広く、座席もゆったりしていて、日本で乗った夜行高速バスと同じくらいに大きくリクライニングする。肘掛けのボタンを押すと、レッグレストも跳ね上がる。

 車内が広いのは線路の幅が広いからである。日本の鉄道(線路幅1067ミリ)はレールの幅が西洋の標準(1435ミリ)よりも狭く、これは明治時代のお雇い外国人が、東洋の島国には安く作れる狭い線路で十分だ、と考えたからであって、現在に至るまで日本は狭い線路幅による輸送力の小ささに悩まされ(東京の通勤電車の線路が標準軌だったらずいぶん楽なはずだ)、標準軌の別路線(=新幹線)を作ったりしなくちゃいけなかったわけだが、その日本が敷いた韓国の鉄道は、ちゃんと標準の幅なのだ。…植民地支配をしたのは申し訳ないけれど、線路については日本人は先見の明があったのかなぁ、などと思いながら、ゆったりした座席でくつろぐ。座席は通路側だけど、窓際の客はまだ、いない。

* * *

 『セマウル号』には食堂車もついている。日本では食堂車なんて昔話になってしまったけれど、韓国ではほぼすべての『セマウル号』に食堂車がある。11時過ぎ、永川(ヨンチョン)という駅を出たところで、席を立って食堂車に行った。食堂車はかなり前方で、よろめきながら車両を伝って行く。

セマウル号の食堂車 3号車の食堂車はがら空きで、窓から光が差し込んで明るかった。車両の中央が厨房やレジで、前と後ろに客席が並んでいる。食事をしようかとも思ったが、何故かあまり空腹ではなかったので、男性店員に、韓国語の発音に気をつけながら「ほっこっぴっ、ぢゅせよ(ホットコーヒーください)」と言って、窓に向かったカウンター席に座った。コーヒーは2000ウォン(209円)。昔、東海道新幹線の食堂車で飲んだコーヒーのことを思い出した。

 11時31分、東大邱(トンデーグ)駅に到着。大邱(テーグ)は韓国中部の大都市で、薄暗いホームから乗客がたくさん乗ってきた。ここから、ソウルー釜山の京釜(キョンブ)線に入る。

 8号車の自分の席に戻ってみると、隣の窓際の席が埋まっているばかりか、ぼくの席にも、迷彩服の若い兵隊が座っている。とっさに韓国語の作文が頭の中でできず、英語よりも先に出てきた中国語で、――ココハ俺ノ席ダガ、と言ったところ、その言葉が通じたとは思えないが意味はわかったらしく、兵隊は無言で立ち上がった。しかし、そいつは同じ車両の少し離れたところにまた、座る。そこがそいつの指定席とも思えない。売り切れの場合は立席特急券のようなものがあるのだろうか?

* * *

 ところで、例の“台風で鉄橋が流された場所”が気になる。複線区間のうち片側の鉄橋が落ちたらしく、一時は列車の本数が4割まで落ち、「復旧には半年かかる」なんて言われたけれど、ものすごいスピードで復旧してしまったらしく、この『セマウル号』も時刻表の通りに走っている。 韓国では鉄道は軍事輸送の観点からも重要な社会インフラだから、最優先で復旧工事をしたのかも知れないが。――東大邱発車後、亀尾(クミ)を過ぎると列車は徐々に山中に入っていく。金泉(キムチョン)を通過したあたりで、そろそろかな、と思って席を立ってデッキに行き、窓の外を一生懸命に見たが、それらしい“鉄橋”は見つけられなかった。しかし1か所、列車が妙に減速したところがあり、路盤の砂利も新しかったので、そのあたりだったのかも知れない。

 列車はこの山中を越えると、慶尚北道から忠清北道に入る。ソウルー釜山間に建設中のKTX(韓国高速鉄道)の高架橋も見える。日本の新幹線が負けてフランスのTGVから技術導入されることになった高速鉄道で、2004年には開業するらしい。再びこの国に来ることがあったら、あれに乗れるのだろうか。

* * *

 先ほどの徐行区間のせいか、その後の停車駅はどれも3分ほど遅れている。13時52分発車予定だった天安(チョナン)を出ると、もうソウルまであと1時間、100キロ足らず。今度こそ空腹を感じたので、再び食堂車に行く。

 食堂車には何人かの客がいたが、もう片付けに入っているらしく、レジでは主任らしい恰幅の良い男性が電卓で何やら計算している。ぼくを見ると、さっきの日本人じゃないか、という顔で、「しくさ(食事)、ナントカナントカ?」と言った。――あぁ、しくさ、と答えると、メニューを見せて指差し、これしかないよ、というようなことを言う。折り詰め弁当のようなもので、10,000ウォン(1042円)。高いけれど、食堂車だし(^^;)、まぁいいか。

食堂車のランチ このランチ、日本の幕の内弁当にそっくりだった。写真右の椀に入っているのは紛れもなく味噌汁で、ダシは煮干しだった(苦笑)。――しかし、韓国ではお椀を手に持って口につけるような食べ方はしないはずなのだが、お椀が小さすぎてスプーンは使いにくく、ちょっと迷った。あたりを見回してみても、食べ方の参考になるような人がちょうどいなくて、結局、日本の味噌汁と同じように、お椀から直接飲んでしまったけれど…。

* * *

 車内はほとんど満席になっていた。『韓国経済新聞』を読む紳士、だらしなく寝そべりながら『スポーツ・ソウル』を眺めているオヤジ、子供連れの母親など、乗客もいろんな人がいる。西洋人のグループもいる。停車駅を知らせる車内放送は、韓国語・英語・日本語・中国語で流れる。

 天安から30分ほどで、ソウルから41キロ地点の水原(スーウォン)。ここはソウル近郊の通勤電車の終点で、ロングシートや吊革のある銀色の電車も見えるようになる。通過駅のホームで電車を待っている客の雰囲気も、日本とあまり変わらない。ただ、そんな駅のひとつに「禿山」なんていう駅があったりして、ちょっと笑ってしまう。「トクサン」と読むのだが、、、(^^;

 パステルカラーの高層マンションが立ち並ぶようになってきた。が、なんだかおもちゃみたいで、弱々しく見える。なんでそんな印象を受けるんだろう、とちょっと考えて、日本の団地よりも柱や梁が細く見えることに気がついた。北京の郊外でもこれと似たような団地があった。ひょろひょろと空に向かって伸びていて、壁には、建設した企業なのだろうか、「現代(Hyundai)」とか「双龍(Ssangyong)」などの韓国財閥の名前やマークがペンキで描いてある。

 ごみごみとした都会の風景になって、永登浦(ヨンドゥンポ)を通過すると、乗客たちがそわそわとし始めた。まもなくソウルに到着します、という放送も流れた。漢江(ハンガン)を渡るあたりで、左窓に高いビルがそびえているのが見え、乗客が「ゆくさむびるでぃん?」と話している。韓国で一番高い、大韓生命63(ユクサム)ビルだ。

 14時55分過ぎ、数分遅れでソウル駅に着いた。慶州駅から404キロを4時間半、あまり退屈しなかった。

セマウル号
特急セマウル号。ちょうど2編成を連結してる部分があったので、写真撮っちゃいました。


失敗した話

 ソウル駅のホームは工事中なのか、埃っぽく薄暗かった。荷物を担いで改札口を出る。

 ソウルでは、先述の通り、「ソウル・オリンピック・パークテル」というユースホステルのドミトリーを予約していた。ここはソウル駅から少し遠い、市内東南部のオリンピック公園の近くにあるらしく、もらったEメールに住所も書いてあるのだが、オリンピック公園の北側なのか南側なのか、地下鉄のどの駅で降りればいいのか、わからない。オリンピック公園はたぶん広大だろうし、着いてみたら公園の反対側でした、ということになっては疲れてしまう。

 そこで、ソウル駅の観光案内デスクに行き、英語で訊ねてみた。たまたま、ちょっときつ目の韓国人顔のお姉さんのところが空いていた。――「ソウル・オリンピック・パークテルにはどうやって行けばいいでしょうか?」

 「あ〜、少し遠いから地下鉄に乗ってください」と言いながら、ローマ字の地下鉄路線図を開いて、説明してくれる。「ここからLine Number 4に乗って、Dongdaemun Stadiumに行って、、、」
 「ドンデームン・ステイディアム?」
 「そう、この青いラインでね。そこからLine Number 2、グリーンのラインに乗り換えて、Jamsilに行って、」
 「ジャムシル?」
 「ええ、そこでLine Number 8に乗り換えて、Mongchontoseongに行ってください」
 「モンチョントソン?」(^^;
 「そこからホテルに電話してください、電話番号持ってますか?」
 「…あ、はいはい持ってます」

 …大変なことになってきた。というか、ローマ字で説明されると、かえって何が何だかわからなくなる。英語ではなく、日本語で質問すればよかったのかもしれない。その地下鉄案内図は、よく見ると、表紙は「漢城地鉄案内」。中国語版のパンフレットだった。

ソウルの駅舎 「階段を下りて右に行くと4号線の乗り場があるから。左は1号線だから気をつけてね」というお姉さんの教示に従って、階段を下りると、そこはソウル駅の正面入口だった。背後を見上げると、日本時代からの昔ながらのソウル駅舎。丸の内の東京駅と同じ人が設計したということだ。

 陸路・海路をたどって、はるばるやって来たソウルだが、まずはそのMongchontoseongという駅に行って、オリンピック・パークテルに落ちつかなくてはならない。地下鉄への階段を下りながら、気もそぞろである。

* * *

平和の門 「東大門運動場」と「蚕室」で電車を2回も乗り換えて、ソウル駅から40分以上かかって、モンチョントソン駅――「夢村土城」駅に降りた。何のことはない、東京駅に着いたら“ホテルは世田谷です”と言われたようなもので、まったく遠かった。…しかし、この「Mongchontoseong」という駅名、妙に気に入ってしまった。韓国語の発音の耳障りも、漢字で書いたときの字面も、いい。

 地上に上がると、オリンピック公園の「平和の門」が眼前にそびえ立っている。大通り沿いに、「Seoul Olympic Parktel」という建物が見えた。電話をするまでもなかった。広い歩道を歩き出す。

 「ソウル・オリンピック・パークテル」はかなり立派なホテルだった。ホテルの中の数部屋がドミトリーとしてユースホステルになっている、ということは知っていたけれど、高級ホテルに足を踏み入れるとちょっと気後れしてしまう。何せ、こちらは薄汚いジャケットを羽織ったバックパッカー風の旅行者である。フロントで、「ユースホステルのデスクはここか?」なんて訊ねてしまった。

 フロントには主任らしい威厳のある中年男性と、日本語を話すおばさんとがいた。「予約してきた者だが、、、」と英語で言うと、さっさと話が進んで、今日の1泊はセルフで予約、明日・明後日がIBNで予約した分、というややこしい事情もすんなりと了解されていた。今日の1泊分の22,000ウォン(2292円)を支払うと、中年の男性の方が、早口の英語で、「あなたの部屋はドミトリーで814号室だ、鍵はひとつしかなく、今は中に相客がいるからノックして開けてもらえ、開かなかったら言いに来なさい、」という意味のことを言う。細かいところで聞き取れない部分もあったけれど、大筋でそんなようなことを言っていたと思う。

 エレヴェータで8階に上がって、814号室のドアをノックしてみたものの、返事がない。鍵も掛かっている。かなり強めに、ドンドンとドアを叩いてみたが、寂として物音ひとつしない。

 1階のフロントに戻って、鍵が掛かってるし中に人もいないようだ、と訴えると、中年フロント氏は何やら電話を掛けてから、「もう一度8階に上がれ、スタッフに言っておいたから開けてくれる」。荷物を持って再び8階へ。

 8階でエレヴェータを出ると、ルームメイクのおばさんが待ちかまえていて、こっちこっち、と合鍵で814号室を開けてくれた。

* * *

 さて、814号室に入ってみると、、、

 中は薄暗い。シングルルームの広さに2段ベッドを2つ入れた「ドミトリー」で、小さなテーブルには果物や飲み物が散らかっている。

 ひとつのベッドに、大柄な西洋人男性が1人、下着姿で寝ていた。鍵を開けてくれたおばさんが、あぁ、いるじゃないの、というようなことを言う。――4つのベッドのうち、使用中の気配のない上段の1つに荷物を置いたが、…ベッドカーテンすらないのか。

 とりあえず貴重品バッグだけ持って、逃げるように部屋を出る。「沈没旅行者」の姿に、ちょっと引いてしまった。

* * *

 あてもなくホテルを出て、北側の川の土手に行き、歩道の縁石に座って煙草を吸った。――気持ちが落ち着いてきたところで、だんだん自分に腹が立ってきた。たしかにユースホステルだからドミトリーなのはわかっているとは言え、そもそも、慶州では1泊25,000ウォンでこぎれいな部屋に泊まれたと言うのに、何故22,000ウォンであんなドミトリーに泊まらなければならないのか。ユースホステルなのに部屋に鍵がかかって自由に出入りできないとはどういうことなんだ。不便きわまりない。それにあの沈没してる西洋人はどうだ。あんな部屋に3泊も、絶対にしたくない。

 宿泊をキャンセルして、いまから市内の旅館を探すか。。。しかし、時刻はもう16時を過ぎていて、また地下鉄を乗り継いで中心部に戻って宿を探すのも億劫だ。今日の1泊はあの部屋で我慢するか…。

街路樹の向こうにそびえる、オリンピック・パークテル 立ち上がってホテルに戻り、フロントでさっきの日本語のできる女性に訊ねてみることにした。――「シングルルームに変更することはできますか?」

 「シングルルームは11万9,000ウォンでございます」

 むむむ…。日本円にすると12,000円あまり。一流ホテル並み、あるいはそれ以上だ。大金である。3泊すれば35万7,000ウォン(37,188円)になる。

 大いに迷った。本当に迷った。少なくとも、今の韓国滞在中に、それだけのお金を払うことはできない。余分な現金を持っていないわけではないけれど、緊急用のつもりなので、ほいほいと使いたくはないのだ。

 しかし、男は決断だ(?)。――カードで払うことにして、シングルルームに泊まることにした。ドミトリーのために支払った22,000ウォンは、返金してもらった。キーを受け取ると、今度の部屋もやはり8階だったので、また8階に戻り、さっきのルームメイクのおばさんの部屋を叩いて、「イクスキューズミー、もう一度814号室開けてくれない?」と叫ぶ。おばさんは変な顔をしたが、814号室から荷物を出して、「部屋を変わることにしたんだ」と言うと、納得したようだった。

 新しい部屋に入ってみると、「シングルルーム」と言ったはずだったが、ベッドはダブルだった。この国では“1人で宿泊する”ということが想定されていないのか? まぁ広いからいいんだけど。。。大きな窓からは、小高い丘の上の公園が見える(後から知ったのだが、それが「夢村土城(モンチョントソン)」で、百済の時代の山城の跡だそうだ)。

 高い宿泊費を支払って高級ホテルに泊まってみても、何のこともない。鍵がかかって、シャワーがあって、ベッドがあって、汚れていなければ、一泊25,000ウォンでも、11万9,000ウォンでも、大した変わりはないのだ。それなのに、、、ずいぶん損をしたような気がするが、まぁ、仕方ない。明日はここを引き払って、市中の旅館を探そう。慶州でできたことが、ソウルでできないわけがない。。。(?)

 しかし高級ホテルにも良いところがあって、街で銀行を探さなくても、フロントで手軽に両替ができる。1万円のトラヴェラーズ・チェックが、95,955ウォンになった。お金を出せばインターネットも使える。その気になればレストランで食事もできるし(しなかったけど)、…そこから一歩も出ずに暮らせるようになっているのが高級ホテルというわけか、と、ひとり納得した。

* * *

 それにしても、ちょっと疲れた。悩んだので、胃も痛くなった。再びホテルを出て、夢村土城駅の交差点にあるバーガーキングに入った。日本では見られなくなってしまったバーガーキングだが、この国にはまだあるのだ。…学生時代によく入った、三田のバーガーキングを思い出す。

 バーガーキングで「アイスコーヒー」と言うと、アルバイトらしい女の子の店員が2人がかりくらいで、アイスはない、という意味のことを、一生懸命、身振りで伝えようとする。すごく可愛いんだけど、だからどうしてアイスコーヒーがないんだ、この国は…。しかたなく、ホットコーヒーを飲みながら、手帳に日記を書いたり、音楽を聴きながら本を読んだりする。東京でもソウルでも、街でぼくのやることって大して変わらない。――そもそも、この日は宿に荷物を置いてから、ちょっとはソウルの街を歩こうと思っていたのだが、ソウル駅からホテルまでの距離が思いのほか遠かったのと、ちょっといろいろあったのとで、なんだか元気をなくしてしまった。

 店を出て、夕暮れの大通りを、蚕室(チャムシル)の方向へ歩く。このあたりはソウルの江南(カンナム)地区の東側で、まっすぐな大通りに沿って団地が並んでいる。蚕室は大きな交差点で、「ロッテワールド」という、デパートとホテルの複合施設があった。一目で見渡せないほど巨大なデパートで、歩道に面してコーヒーショップのテラスなんかもある。ロッテリアに入って、シュリンプバーガーを食べたのが夜7時頃。

* * *

 昔からそうなのだが、ぼくは旅行に出ると極端に少食になる。この日だって、まともに腹に入れた食べ物は、セマウル号の食堂車のランチと、このハンバーガーくらいだ。その代わり(?)、飲み物はほとんど絶えず何かを飲んでいるからそれで埋め合わせているのかも知れないし、煙草もずいぶん吸っている。とても健康的な食生活とは言えず、事実、体重もだんだん減ってきていたんだけど、コンビニで適当にパンやおにぎりを買ったり、ファーストフードでハンバーガーとコーヒー、というくらいで十分だ。煙草ばかり吸っているうちに胃が小さくなってきているのだろうか。…それと、好きこのんで1人で旅行しているとは言え、1人で食事するというのはやはりわびしいものがある。そんなわけで、食費のあまりかからない、便利な貧乏旅行者体質になりつつある、のかも知れない。

 日本で買ってきた煙草が切れたので、道端の煙草売りを覗いてみる。得体の知れない韓国煙草には、ちょっと手が出ない。なるべく軽めのやつがいいんだけどな、と思いながら銘柄を眺め、セイラム・ライトを買ったら、2000ウォン(209円)もした。煙草1箱は1100〜1200ウォンだと聞いていたので、ちょっと驚く。外国煙草は高いのだろうか。

 また歩いてホテルに帰る。明日はここを引き払って、宿探しだ。

お邪魔しないでくだちい
ドント・ディスターブの札ほとんど“お約束”という気もする



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