特急セマウル号 |
失敗した話 |
ソウル駅のホームは工事中なのか、埃っぽく薄暗かった。荷物を担いで改札口を出る。 ソウルでは、先述の通り、「ソウル・オリンピック・パークテル」というユースホステルのドミトリーを予約していた。ここはソウル駅から少し遠い、市内東南部のオリンピック公園の近くにあるらしく、もらったEメールに住所も書いてあるのだが、オリンピック公園の北側なのか南側なのか、地下鉄のどの駅で降りればいいのか、わからない。オリンピック公園はたぶん広大だろうし、着いてみたら公園の反対側でした、ということになっては疲れてしまう。 そこで、ソウル駅の観光案内デスクに行き、英語で訊ねてみた。たまたま、ちょっときつ目の韓国人顔のお姉さんのところが空いていた。――「ソウル・オリンピック・パークテルにはどうやって行けばいいでしょうか?」 「あ〜、少し遠いから地下鉄に乗ってください」と言いながら、ローマ字の地下鉄路線図を開いて、説明してくれる。「ここからLine Number 4に乗って、Dongdaemun Stadiumに行って、、、」 …大変なことになってきた。というか、ローマ字で説明されると、かえって何が何だかわからなくなる。英語ではなく、日本語で質問すればよかったのかもしれない。その地下鉄案内図は、よく見ると、表紙は「漢城地鉄案内」。中国語版のパンフレットだった。 「階段を下りて右に行くと4号線の乗り場があるから。左は1号線だから気をつけてね」というお姉さんの教示に従って、階段を下りると、そこはソウル駅の正面入口だった。背後を見上げると、日本時代からの昔ながらのソウル駅舎。丸の内の東京駅と同じ人が設計したということだ。 陸路・海路をたどって、はるばるやって来たソウルだが、まずはそのMongchontoseongという駅に行って、オリンピック・パークテルに落ちつかなくてはならない。地下鉄への階段を下りながら、気もそぞろである。 * * * 「東大門運動場」と「蚕室」で電車を2回も乗り換えて、ソウル駅から40分以上かかって、モンチョントソン駅――「夢村土城」駅に降りた。何のことはない、東京駅に着いたら“ホテルは世田谷です”と言われたようなもので、まったく遠かった。…しかし、この「Mongchontoseong」という駅名、妙に気に入ってしまった。韓国語の発音の耳障りも、漢字で書いたときの字面も、いい。 地上に上がると、オリンピック公園の「平和の門」が眼前にそびえ立っている。大通り沿いに、「Seoul Olympic Parktel」という建物が見えた。電話をするまでもなかった。広い歩道を歩き出す。 「ソウル・オリンピック・パークテル」はかなり立派なホテルだった。ホテルの中の数部屋がドミトリーとしてユースホステルになっている、ということは知っていたけれど、高級ホテルに足を踏み入れるとちょっと気後れしてしまう。何せ、こちらは薄汚いジャケットを羽織ったバックパッカー風の旅行者である。フロントで、「ユースホステルのデスクはここか?」なんて訊ねてしまった。 フロントには主任らしい威厳のある中年男性と、日本語を話すおばさんとがいた。「予約してきた者だが、、、」と英語で言うと、さっさと話が進んで、今日の1泊はセルフで予約、明日・明後日がIBNで予約した分、というややこしい事情もすんなりと了解されていた。今日の1泊分の22,000ウォン(2292円)を支払うと、中年の男性の方が、早口の英語で、「あなたの部屋はドミトリーで814号室だ、鍵はひとつしかなく、今は中に相客がいるからノックして開けてもらえ、開かなかったら言いに来なさい、」という意味のことを言う。細かいところで聞き取れない部分もあったけれど、大筋でそんなようなことを言っていたと思う。 エレヴェータで8階に上がって、814号室のドアをノックしてみたものの、返事がない。鍵も掛かっている。かなり強めに、ドンドンとドアを叩いてみたが、寂として物音ひとつしない。 1階のフロントに戻って、鍵が掛かってるし中に人もいないようだ、と訴えると、中年フロント氏は何やら電話を掛けてから、「もう一度8階に上がれ、スタッフに言っておいたから開けてくれる」。荷物を持って再び8階へ。 8階でエレヴェータを出ると、ルームメイクのおばさんが待ちかまえていて、こっちこっち、と合鍵で814号室を開けてくれた。 * * * さて、814号室に入ってみると、、、 中は薄暗い。シングルルームの広さに2段ベッドを2つ入れた「ドミトリー」で、小さなテーブルには果物や飲み物が散らかっている。 ひとつのベッドに、大柄な西洋人男性が1人、下着姿で寝ていた。鍵を開けてくれたおばさんが、あぁ、いるじゃないの、というようなことを言う。――4つのベッドのうち、使用中の気配のない上段の1つに荷物を置いたが、…ベッドカーテンすらないのか。 とりあえず貴重品バッグだけ持って、逃げるように部屋を出る。「沈没旅行者」の姿に、ちょっと引いてしまった。 * * * あてもなくホテルを出て、北側の川の土手に行き、歩道の縁石に座って煙草を吸った。――気持ちが落ち着いてきたところで、だんだん自分に腹が立ってきた。たしかにユースホステルだからドミトリーなのはわかっているとは言え、そもそも、慶州では1泊25,000ウォンでこぎれいな部屋に泊まれたと言うのに、何故22,000ウォンであんなドミトリーに泊まらなければならないのか。ユースホステルなのに部屋に鍵がかかって自由に出入りできないとはどういうことなんだ。不便きわまりない。それにあの沈没してる西洋人はどうだ。あんな部屋に3泊も、絶対にしたくない。 宿泊をキャンセルして、いまから市内の旅館を探すか。。。しかし、時刻はもう16時を過ぎていて、また地下鉄を乗り継いで中心部に戻って宿を探すのも億劫だ。今日の1泊はあの部屋で我慢するか…。 立ち上がってホテルに戻り、フロントでさっきの日本語のできる女性に訊ねてみることにした。――「シングルルームに変更することはできますか?」 「シングルルームは11万9,000ウォンでございます」 むむむ…。日本円にすると12,000円あまり。一流ホテル並み、あるいはそれ以上だ。大金である。3泊すれば35万7,000ウォン(37,188円)になる。 大いに迷った。本当に迷った。少なくとも、今の韓国滞在中に、それだけのお金を払うことはできない。余分な現金を持っていないわけではないけれど、緊急用のつもりなので、ほいほいと使いたくはないのだ。 しかし、男は決断だ(?)。――カードで払うことにして、シングルルームに泊まることにした。ドミトリーのために支払った22,000ウォンは、返金してもらった。キーを受け取ると、今度の部屋もやはり8階だったので、また8階に戻り、さっきのルームメイクのおばさんの部屋を叩いて、「イクスキューズミー、もう一度814号室開けてくれない?」と叫ぶ。おばさんは変な顔をしたが、814号室から荷物を出して、「部屋を変わることにしたんだ」と言うと、納得したようだった。 新しい部屋に入ってみると、「シングルルーム」と言ったはずだったが、ベッドはダブルだった。この国では“1人で宿泊する”ということが想定されていないのか? まぁ広いからいいんだけど。。。大きな窓からは、小高い丘の上の公園が見える(後から知ったのだが、それが「夢村土城(モンチョントソン)」で、百済の時代の山城の跡だそうだ)。 高い宿泊費を支払って高級ホテルに泊まってみても、何のこともない。鍵がかかって、シャワーがあって、ベッドがあって、汚れていなければ、一泊25,000ウォンでも、11万9,000ウォンでも、大した変わりはないのだ。それなのに、、、ずいぶん損をしたような気がするが、まぁ、仕方ない。明日はここを引き払って、市中の旅館を探そう。慶州でできたことが、ソウルでできないわけがない。。。(?) しかし高級ホテルにも良いところがあって、街で銀行を探さなくても、フロントで手軽に両替ができる。1万円のトラヴェラーズ・チェックが、95,955ウォンになった。お金を出せばインターネットも使える。その気になればレストランで食事もできるし(しなかったけど)、…そこから一歩も出ずに暮らせるようになっているのが高級ホテルというわけか、と、ひとり納得した。 * * * それにしても、ちょっと疲れた。悩んだので、胃も痛くなった。再びホテルを出て、夢村土城駅の交差点にあるバーガーキングに入った。日本では見られなくなってしまったバーガーキングだが、この国にはまだあるのだ。…学生時代によく入った、三田のバーガーキングを思い出す。 バーガーキングで「アイスコーヒー」と言うと、アルバイトらしい女の子の店員が2人がかりくらいで、アイスはない、という意味のことを、一生懸命、身振りで伝えようとする。すごく可愛いんだけど、だからどうしてアイスコーヒーがないんだ、この国は…。しかたなく、ホットコーヒーを飲みながら、手帳に日記を書いたり、音楽を聴きながら本を読んだりする。東京でもソウルでも、街でぼくのやることって大して変わらない。――そもそも、この日は宿に荷物を置いてから、ちょっとはソウルの街を歩こうと思っていたのだが、ソウル駅からホテルまでの距離が思いのほか遠かったのと、ちょっといろいろあったのとで、なんだか元気をなくしてしまった。 店を出て、夕暮れの大通りを、蚕室(チャムシル)の方向へ歩く。このあたりはソウルの江南(カンナム)地区の東側で、まっすぐな大通りに沿って団地が並んでいる。蚕室は大きな交差点で、「ロッテワールド」という、デパートとホテルの複合施設があった。一目で見渡せないほど巨大なデパートで、歩道に面してコーヒーショップのテラスなんかもある。ロッテリアに入って、シュリンプバーガーを食べたのが夜7時頃。 * * * 昔からそうなのだが、ぼくは旅行に出ると極端に少食になる。この日だって、まともに腹に入れた食べ物は、セマウル号の食堂車のランチと、このハンバーガーくらいだ。その代わり(?)、飲み物はほとんど絶えず何かを飲んでいるからそれで埋め合わせているのかも知れないし、煙草もずいぶん吸っている。とても健康的な食生活とは言えず、事実、体重もだんだん減ってきていたんだけど、コンビニで適当にパンやおにぎりを買ったり、ファーストフードでハンバーガーとコーヒー、というくらいで十分だ。煙草ばかり吸っているうちに胃が小さくなってきているのだろうか。…それと、好きこのんで1人で旅行しているとは言え、1人で食事するというのはやはりわびしいものがある。そんなわけで、食費のあまりかからない、便利な貧乏旅行者体質になりつつある、のかも知れない。 日本で買ってきた煙草が切れたので、道端の煙草売りを覗いてみる。得体の知れない韓国煙草には、ちょっと手が出ない。なるべく軽めのやつがいいんだけどな、と思いながら銘柄を眺め、セイラム・ライトを買ったら、2000ウォン(209円)もした。煙草1箱は1100〜1200ウォンだと聞いていたので、ちょっと驚く。外国煙草は高いのだろうか。 また歩いてホテルに帰る。明日はここを引き払って、宿探しだ。
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